最近ずっと考えているのだけれど
どうしても思い出せない。
現在
楽天FM
インターネットラジオ
LAST DAYS
という番組の中で
私のしゃべりと
CD The voice
の中から曲を流していただいています。
感謝!
嬉しい!
皆様、聞いていただいてますか?笑
私のしゃべりといい(言うのは自由)
DJトラさんのしゃべりといい
面白い!
最高です!
是非、聞いてみてね!
どうか、よろしくお願いします!
今回、それに絡んで
ステーションブレイクにも参加させていただいています。
そのステーションブレイクを作る作業が
実に面白くて。
あー、これ、なんだ?
いったいなんだろう、、
この感覚、
どこかで味わったことがある、、、
そもそものキッカケはここでした。
私が高校、確か二年生の時
とても貴重な経験をさせていただきました。
福島県南相馬市鹿島区
当時はまだ相馬郡鹿島町だったところに
小さな神社がありまして
その神社の氏子さん達で
ずっと長い間
伝統を継承してお祭が行われていました。
その祭が
12年に一度しか行われないしきたりの為に
作法、内容、意味合い、をわかる方が
伝承に不安を持たれ
この祭の一部始終をおさめた
記録映像をつくりたい
という方達が現れました。
テレビ局とかではないです。
本当に真に地元を愛する
地元の素人の有志の方々です。
私が高校生ですから
もう今から30年近く前のことになるのかな
ビデオカメラなんて普通になくて
フィルムですよ、フィルム!笑
で!
ある日
その有志2人が
私のバイト先の電気屋さんに
突然、現れるわけです。
いらっしゃいませー
\(^o^)/
あなたが圭子さんですか?
え、、、、あ、あ、、、はい、、
(*_*)
ナレーションやってもらえませんか?
あ、、
えっ、
あの、、
はあーっ?
((((;゚Д゚)))))))
ですよ。
これ、どう考えても正しい反応だと思う!
笑
世間なんて
なーんにもわからない
セーラー服きた
田舎のただの高校生の前に
カウンター越しに
スーツ着た中年男性2人
これ、かなりビビりました。
私は騙されて
どっか連れて行かれんのか?
なんで私の名前知ってんの?
ナレーションて、なんの話?
あらゆる妄想が頭を駆け巡り
その後、頭真っ白になりました。
あと少しでバイトが終わる時間でしたので
待っていただければ話は聞きます、と。
でも電車で帰るので
時間は少ししかありません。
そこまで話すのがやっとでした。
その後
勇気を出して彼らと話をしてみると
祭の記録映像を撮りはじめている
出来たらいいな、じゃなくて
真剣に必死でがんばっている
この記録映画を後世に残したい
映像に合わせてナレーションを
お願いしたい
という内容でした。
でも、見ず知らずの方々が
なんで私に?
高校生から見た中年男性は
もう立派に「怪しい」の範疇です。
大人で出来るひといなかったんですか?
映像を撮りはじめたが
どうしても映像に合うナレーションが
欲しい
自分達でやってみたが
どうにもよくない
誰かいないか
人脈を駆使して
あらゆる場所で
あらゆる人に
この話をしまくったら
私の名前が何人かから浮上したと
その浮上させた何人かって
誰なんだよっ!
ていう謎はいまだに持ち越しですが
彼らの情熱、、
んー、違うかなあ、、
当時十代の私が
私なりの感受性で
彼らの志のようなものを感じたのです。
見ず知らずの中年男性
まだ怖い気持ちもあったけど
思い切って引き受けることにしました。
そこからは
約一カ月
土日になると
原町駅まで車で迎えにきてくれて
彼らの家で原稿を読む
という作業が続きました。
そこは、そんな解釈じゃない
楽しいにも、切ない、にも
種類があって、、
とか
いっぱい指導していただきました。
腹の中では
知らないよ!
私、まだ16年しか生きてないの!
そんな大人な感情わかんない!
なんて毒づいたりもしましたが、、
宿題で渡された原稿を
自分なりに言い回し気になるところは
直したり
放課後、原町高校、放送部の部室にこもって
イントネーション辞典引きまくり
流石に十代ですので邪心はなく
ただただ、
そこまで必要と思ってくれた彼らに
応えたい一心でした。
親は相当心配していましたが
まあ、、、
知ったこっちゃない
私が決めたことだから
そうこうして
やっと映画は完成し
神社の近くの公会堂で
試写会が行われることになりました。
夜だから
外出するのを禁止する親を必死に説得し
ものすごい緊張して
出かけていきました。
相変わらず車で迎えにきてくださったので
場所がどこだったのかは
覚えていません。
鹿島のどこかでした。
私が公会堂に着くと
もう中は満員で
子どもからおばあちゃんまで、びっしり。
真ん中に映写機が設置されていました。
扇風機をまわして
うちわであおいで
開幕です。
なんと言っていいか
いまだにわからない
私はわからないです。
映像とともに聞こえる私の声
この感動を
私はいまだに
どう表現したら良いのか
わからないです。
無言で、涙が流れる自分がいました。
祝詞の声
神輿を担ぐ男衆の野太い声
風の音
神輿が海に入ってゆく時の海の音
そして
私の声
映画が終わると
われんばかりの拍手
そして製作者が私を紹介してくれたとき
何人も、何人もの
腰の曲がったおばあちゃん達に
杖をついたおじいちゃん達に
ありがとうございます!
ありがとうございます!
て、、、、
涙が止まりませんでした。
こんなお年寄りが
小娘に敬語使うなよ!
心の中の声は言葉にはならず
他の言葉すら声にはならず
私は
その集落の方々に
ただだまって涙をふきながら
おじぎをしました。
私は、がんばったんだ!
がんばらせてくれた方々がいたんだ!
私の声は映像とともに残るんだ!
この機会を与えてくれた彼らに
感謝しかありません。
彼らにもう一度会いたいのに
名前が思い出せないのです。
願わくばあの映画を
もう一度見たい
と思いました。
私の記憶にある手がかりは
鹿島町の神社であること
12年に一度
神輿が海に入ってゆく祭であること
それだけなのです。
生まれてはじめて
大人から名刺をもらうという経験をしました。
生まれてはじめて
ギャラという名前の5000円をもらいました。
生まれてはじめて
お年寄りに頭を深々と下げられる経験をしました。
あのお年寄りは皆様全員
お亡くなりになられたでしょう。
私にとって
生まれてはじめての
声を使うお仕事になりました。
見ず知らずの中年男性を信じ
出会いを信じ
飛び込む決断をした
16歳の自分を
褒めてあげたい気持ちになりました。
どうしても思い出せない。
現在
楽天FM
インターネットラジオ
LAST DAYS
という番組の中で
私のしゃべりと
CD The voice
の中から曲を流していただいています。
感謝!
嬉しい!
皆様、聞いていただいてますか?笑
私のしゃべりといい(言うのは自由)
DJトラさんのしゃべりといい
面白い!
最高です!
是非、聞いてみてね!
どうか、よろしくお願いします!
今回、それに絡んで
ステーションブレイクにも参加させていただいています。
そのステーションブレイクを作る作業が
実に面白くて。
あー、これ、なんだ?
いったいなんだろう、、
この感覚、
どこかで味わったことがある、、、
そもそものキッカケはここでした。
私が高校、確か二年生の時
とても貴重な経験をさせていただきました。
福島県南相馬市鹿島区
当時はまだ相馬郡鹿島町だったところに
小さな神社がありまして
その神社の氏子さん達で
ずっと長い間
伝統を継承してお祭が行われていました。
その祭が
12年に一度しか行われないしきたりの為に
作法、内容、意味合い、をわかる方が
伝承に不安を持たれ
この祭の一部始終をおさめた
記録映像をつくりたい
という方達が現れました。
テレビ局とかではないです。
本当に真に地元を愛する
地元の素人の有志の方々です。
私が高校生ですから
もう今から30年近く前のことになるのかな
ビデオカメラなんて普通になくて
フィルムですよ、フィルム!笑
で!
ある日
その有志2人が
私のバイト先の電気屋さんに
突然、現れるわけです。
いらっしゃいませー
\(^o^)/
あなたが圭子さんですか?
え、、、、あ、あ、、、はい、、
(*_*)
ナレーションやってもらえませんか?
あ、、
えっ、
あの、、
はあーっ?
((((;゚Д゚)))))))
ですよ。
これ、どう考えても正しい反応だと思う!
笑
世間なんて
なーんにもわからない
セーラー服きた
田舎のただの高校生の前に
カウンター越しに
スーツ着た中年男性2人
これ、かなりビビりました。
私は騙されて
どっか連れて行かれんのか?
なんで私の名前知ってんの?
ナレーションて、なんの話?
あらゆる妄想が頭を駆け巡り
その後、頭真っ白になりました。
あと少しでバイトが終わる時間でしたので
待っていただければ話は聞きます、と。
でも電車で帰るので
時間は少ししかありません。
そこまで話すのがやっとでした。
その後
勇気を出して彼らと話をしてみると
祭の記録映像を撮りはじめている
出来たらいいな、じゃなくて
真剣に必死でがんばっている
この記録映画を後世に残したい
映像に合わせてナレーションを
お願いしたい
という内容でした。
でも、見ず知らずの方々が
なんで私に?
高校生から見た中年男性は
もう立派に「怪しい」の範疇です。
大人で出来るひといなかったんですか?
映像を撮りはじめたが
どうしても映像に合うナレーションが
欲しい
自分達でやってみたが
どうにもよくない
誰かいないか
人脈を駆使して
あらゆる場所で
あらゆる人に
この話をしまくったら
私の名前が何人かから浮上したと
その浮上させた何人かって
誰なんだよっ!
ていう謎はいまだに持ち越しですが
彼らの情熱、、
んー、違うかなあ、、
当時十代の私が
私なりの感受性で
彼らの志のようなものを感じたのです。
見ず知らずの中年男性
まだ怖い気持ちもあったけど
思い切って引き受けることにしました。
そこからは
約一カ月
土日になると
原町駅まで車で迎えにきてくれて
彼らの家で原稿を読む
という作業が続きました。
そこは、そんな解釈じゃない
楽しいにも、切ない、にも
種類があって、、
とか
いっぱい指導していただきました。
腹の中では
知らないよ!
私、まだ16年しか生きてないの!
そんな大人な感情わかんない!
なんて毒づいたりもしましたが、、
宿題で渡された原稿を
自分なりに言い回し気になるところは
直したり
放課後、原町高校、放送部の部室にこもって
イントネーション辞典引きまくり
流石に十代ですので邪心はなく
ただただ、
そこまで必要と思ってくれた彼らに
応えたい一心でした。
親は相当心配していましたが
まあ、、、
知ったこっちゃない
私が決めたことだから
そうこうして
やっと映画は完成し
神社の近くの公会堂で
試写会が行われることになりました。
夜だから
外出するのを禁止する親を必死に説得し
ものすごい緊張して
出かけていきました。
相変わらず車で迎えにきてくださったので
場所がどこだったのかは
覚えていません。
鹿島のどこかでした。
私が公会堂に着くと
もう中は満員で
子どもからおばあちゃんまで、びっしり。
真ん中に映写機が設置されていました。
扇風機をまわして
うちわであおいで
開幕です。
なんと言っていいか
いまだにわからない
私はわからないです。
映像とともに聞こえる私の声
この感動を
私はいまだに
どう表現したら良いのか
わからないです。
無言で、涙が流れる自分がいました。
祝詞の声
神輿を担ぐ男衆の野太い声
風の音
神輿が海に入ってゆく時の海の音
そして
私の声
映画が終わると
われんばかりの拍手
そして製作者が私を紹介してくれたとき
何人も、何人もの
腰の曲がったおばあちゃん達に
杖をついたおじいちゃん達に
ありがとうございます!
ありがとうございます!
て、、、、
涙が止まりませんでした。
こんなお年寄りが
小娘に敬語使うなよ!
心の中の声は言葉にはならず
他の言葉すら声にはならず
私は
その集落の方々に
ただだまって涙をふきながら
おじぎをしました。
私は、がんばったんだ!
がんばらせてくれた方々がいたんだ!
私の声は映像とともに残るんだ!
この機会を与えてくれた彼らに
感謝しかありません。
彼らにもう一度会いたいのに
名前が思い出せないのです。
願わくばあの映画を
もう一度見たい
と思いました。
私の記憶にある手がかりは
鹿島町の神社であること
12年に一度
神輿が海に入ってゆく祭であること
それだけなのです。
生まれてはじめて
大人から名刺をもらうという経験をしました。
生まれてはじめて
ギャラという名前の5000円をもらいました。
生まれてはじめて
お年寄りに頭を深々と下げられる経験をしました。
あのお年寄りは皆様全員
お亡くなりになられたでしょう。
私にとって
生まれてはじめての
声を使うお仕事になりました。
見ず知らずの中年男性を信じ
出会いを信じ
飛び込む決断をした
16歳の自分を
褒めてあげたい気持ちになりました。
keiko
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