ひとが一番喜びを感じることって
ひとに必要とされることなんじゃないのかな。
それが家族からでも
パートナーからでも
なんでもかまわない
一番わかりにくいのは
それらじゃなくて
赤の他人からの少しずつの必要が
集合して、
少しずつの集まりがかたまって
100パーセントになるような事例。
これは一瞬孤独に感じるけど
そういうことでもないんだな、て
ある友人を見ていて
思いました。
私のヤング時代の
人間関係失敗例は
まさに、これに尽きます。
生まれてこのかた
誰にも一度も必要とされたことがない
親からでさえも、、みたいな
そんなコンプレックスが強烈にあったので。
もしかして必要とされているのか?
の場面で、強烈に頑張っちゃって、
いやいや、、そこまで求めてませんけど、、
みたいなパターンが、、
あー、思い出したくもない
多かったなあ、
友人関係でも
仕事関係でも
男女関係でも
必要とされる、は
愛される、にも変換可能かな。
こんな私にも
思いを寄せてくれる男性もいたりして
それなりにお付き合いしたりも
ありましたが
飽きちゃうんですね
コンプレックスが強すぎるから。
あなたの私への必要度は
所詮こんなもんですか
じゃあ、いらない、とか。
そうかと思えば
そのコンプレックスが要因で
ひとに好かれる
ということが恐怖に近い時期もありました。
すごく仲良くいい感じにしても
本当に好かれた瞬間から
距離を置く、みたいなのは
日常茶飯事。
相手にしてみれば
かなり不可解な人間だったように思います。
今、何故、
こんなことを書いてみようかと
思ったかというと
私のまわりに
母親との関係が
必要以上に人生に影響を及ぼしているひとが
多いことに気づいたからです。
私のまわり、、だから
皆様、結構な中年ですよ。
その、いい年した大人
特に女性が
実の母親との関係に
苦しんではいなくとも
何かしらのひっかかりを抱えていること
ひとり、ふたり、じゃないから
私のまわりでだけで
そうなんだから
これは結構メジャーな問題なのかな、
と思いました。
私のヤング時代のズタボロの人間関係
これが飛躍的に良くなったのは
やはり、母親との確執をぶっ壊した
瞬間からなのです。
何をやったか、というよりは
必然的にそうなってしまったのですが。
私は、高校卒業と同時に
一人暮らしをはじめて
そりゃあ、親なんて、いたっけ?
ぐらいの生活をしていました。
それが大人だと思っていたし、
そうするしかないんだ
私は一人で生きていくんだ、て
真剣に思っていました。
ところがそれから10年ぐらいたった
ある日
私はかなりの不幸に見舞われるわけです。
毎日、死にたくて、死にたくて、、、
物事の流れに何の意味も見出せない日々が
ありました。
その時にはじめて
母親を頼りました。
十数年ぶりぐらいに頼りました。
これは、
私の中では
かなりのびっくり出来事でした。
母親を頼ることは
私の人生の負けを意味する
ぐらいに思っていましたから。
頼って、少しだけ助けてもらおぅ
そう思って電話したはずなのに
電話が繋がった瞬間
私の口から出た言葉は、、、
お母さん!
私、4歳のあの時、こうして欲しかった!
お母さん!
私、5歳のあの時、お母さんに褒められたかった!
お母さん!
私、小学校のあの時
貴子(妹)と比べられて悔しかった
悲しくて一人で泣いたんだよ!
なんで、こうしてくれなかったの?
お母さん!
なんで、私のこと、抱っこしてくれなかったの?!
お母さん!
お母さん!
なんで!
なんで!
私のこと
お母さんは好きじゃないの?
自分でも何故そんな言葉を発したのかは
わからない
うあーっ!
うあーっ!
て、
まさに叫びながら
罵詈雑言なわけです。
見舞われている不幸とは
まるで関係ない
幼少期から今までの母親への
恨みつらみを
延々30分ぐらい
号泣しながら叫んでいました。
自分でも言いながら、、
あー、私は
もうダメかな
もう正気ではないのかな、、
そんな絶望が頭をかすめました。
びっくりしたのはその後で
母親の反応です。
冷静にみれば
どこで何をしているかわからない娘が
突然、電話してきて
気でも狂ったか?
の場面だと思うのですが
そこで母親は
ごめん!
けいこちゃん、ごめんねえ
そんなふうに思わしてたのが!
私が悪かった!
そんなことは一個もないんだよ!
けいこちゃん大好きだよ!
大好きだよ!
今、そばにいたら、抱っこしてやんのに!
ごめんなあ
けいこちゃん大好きだよ!
私が悪かった
けいこちゃん大好きだよ!
最後は、声もつきて
泣いているのに
鳴き声の出ない私に向かって
母は
ずっと
ずっと
私を大好きだと
大切だと
かわいくて仕方ないのだと
言い続けてくれたのです。
今でも
少し辛い場面があると
この日のことを思い出します。
この日の出来事が
私の中に
得体の知れない安定感をもたらしまして
なんかね、、、
無敵感が芽生えたのです、笑
人間て
なんて単純なんだろうと思いました。
愛されたいひとから
愛されない不足感を
他で埋めようとしても
そんなことが
上手くいくはずもなく
そして、もう一つ
私は母がずっと嫌いだったのですが
それは、
好かれたいのに
それを望むことを自分に許していない為に
いっそ嫌いになってしまえ
の論理も解明できました。
お母さんが大好き
お母さんも私を大好き
それを卒業して
はじめて
別な人間関係がうまく行き始めたのかな
それがどうだ?
参考になるのか?
わかりませんが、、、
私もズタボロだったよ、
を知ってもらえたら
何かしらヒントになるのかな
そんなことを思いました。
みんな仲良くしてね
という意味ではないです。
親子というものは素晴らしい
というのは
幻想だということを知っていただきたかったのです。
素晴らしくもなんともありません。
親子といっても
ただの一人の人間と
一人の人間の
関係性なのです。
だから、、、
嫌いあって
憎しみあって
いいと思うのです。
親子だから仲良く、の
幻想に苦しめられているひとを
見かけることが多くなりました。
親も
子も
一人の人間です。
親子だから
分かり合える、という
愛しあえる、という
幻想を
私は嫌悪します。
そこに血の繋がりなど
意味を成しません。
ただ、、、
チャレンジする価値は
あると思っています。
母が私に教えてくれたことは
たった一つのことです。
「教育」とは
子どもに
あなたは無条件に親に愛されている
と理解させること。
それさえわかれば
心の底から理解できれば
子どもは一人で歩いてゆくのだと
思います。
ひとに必要とされることなんじゃないのかな。
それが家族からでも
パートナーからでも
なんでもかまわない
一番わかりにくいのは
それらじゃなくて
赤の他人からの少しずつの必要が
集合して、
少しずつの集まりがかたまって
100パーセントになるような事例。
これは一瞬孤独に感じるけど
そういうことでもないんだな、て
ある友人を見ていて
思いました。
私のヤング時代の
人間関係失敗例は
まさに、これに尽きます。
生まれてこのかた
誰にも一度も必要とされたことがない
親からでさえも、、みたいな
そんなコンプレックスが強烈にあったので。
もしかして必要とされているのか?
の場面で、強烈に頑張っちゃって、
いやいや、、そこまで求めてませんけど、、
みたいなパターンが、、
あー、思い出したくもない
多かったなあ、
友人関係でも
仕事関係でも
男女関係でも
必要とされる、は
愛される、にも変換可能かな。
こんな私にも
思いを寄せてくれる男性もいたりして
それなりにお付き合いしたりも
ありましたが
飽きちゃうんですね
コンプレックスが強すぎるから。
あなたの私への必要度は
所詮こんなもんですか
じゃあ、いらない、とか。
そうかと思えば
そのコンプレックスが要因で
ひとに好かれる
ということが恐怖に近い時期もありました。
すごく仲良くいい感じにしても
本当に好かれた瞬間から
距離を置く、みたいなのは
日常茶飯事。
相手にしてみれば
かなり不可解な人間だったように思います。
今、何故、
こんなことを書いてみようかと
思ったかというと
私のまわりに
母親との関係が
必要以上に人生に影響を及ぼしているひとが
多いことに気づいたからです。
私のまわり、、だから
皆様、結構な中年ですよ。
その、いい年した大人
特に女性が
実の母親との関係に
苦しんではいなくとも
何かしらのひっかかりを抱えていること
ひとり、ふたり、じゃないから
私のまわりでだけで
そうなんだから
これは結構メジャーな問題なのかな、
と思いました。
私のヤング時代のズタボロの人間関係
これが飛躍的に良くなったのは
やはり、母親との確執をぶっ壊した
瞬間からなのです。
何をやったか、というよりは
必然的にそうなってしまったのですが。
私は、高校卒業と同時に
一人暮らしをはじめて
そりゃあ、親なんて、いたっけ?
ぐらいの生活をしていました。
それが大人だと思っていたし、
そうするしかないんだ
私は一人で生きていくんだ、て
真剣に思っていました。
ところがそれから10年ぐらいたった
ある日
私はかなりの不幸に見舞われるわけです。
毎日、死にたくて、死にたくて、、、
物事の流れに何の意味も見出せない日々が
ありました。
その時にはじめて
母親を頼りました。
十数年ぶりぐらいに頼りました。
これは、
私の中では
かなりのびっくり出来事でした。
母親を頼ることは
私の人生の負けを意味する
ぐらいに思っていましたから。
頼って、少しだけ助けてもらおぅ
そう思って電話したはずなのに
電話が繋がった瞬間
私の口から出た言葉は、、、
お母さん!
私、4歳のあの時、こうして欲しかった!
お母さん!
私、5歳のあの時、お母さんに褒められたかった!
お母さん!
私、小学校のあの時
貴子(妹)と比べられて悔しかった
悲しくて一人で泣いたんだよ!
なんで、こうしてくれなかったの?
お母さん!
なんで、私のこと、抱っこしてくれなかったの?!
お母さん!
お母さん!
なんで!
なんで!
私のこと
お母さんは好きじゃないの?
自分でも何故そんな言葉を発したのかは
わからない
うあーっ!
うあーっ!
て、
まさに叫びながら
罵詈雑言なわけです。
見舞われている不幸とは
まるで関係ない
幼少期から今までの母親への
恨みつらみを
延々30分ぐらい
号泣しながら叫んでいました。
自分でも言いながら、、
あー、私は
もうダメかな
もう正気ではないのかな、、
そんな絶望が頭をかすめました。
びっくりしたのはその後で
母親の反応です。
冷静にみれば
どこで何をしているかわからない娘が
突然、電話してきて
気でも狂ったか?
の場面だと思うのですが
そこで母親は
ごめん!
けいこちゃん、ごめんねえ
そんなふうに思わしてたのが!
私が悪かった!
そんなことは一個もないんだよ!
けいこちゃん大好きだよ!
大好きだよ!
今、そばにいたら、抱っこしてやんのに!
ごめんなあ
けいこちゃん大好きだよ!
私が悪かった
けいこちゃん大好きだよ!
最後は、声もつきて
泣いているのに
鳴き声の出ない私に向かって
母は
ずっと
ずっと
私を大好きだと
大切だと
かわいくて仕方ないのだと
言い続けてくれたのです。
今でも
少し辛い場面があると
この日のことを思い出します。
この日の出来事が
私の中に
得体の知れない安定感をもたらしまして
なんかね、、、
無敵感が芽生えたのです、笑
人間て
なんて単純なんだろうと思いました。
愛されたいひとから
愛されない不足感を
他で埋めようとしても
そんなことが
上手くいくはずもなく
そして、もう一つ
私は母がずっと嫌いだったのですが
それは、
好かれたいのに
それを望むことを自分に許していない為に
いっそ嫌いになってしまえ
の論理も解明できました。
お母さんが大好き
お母さんも私を大好き
それを卒業して
はじめて
別な人間関係がうまく行き始めたのかな
それがどうだ?
参考になるのか?
わかりませんが、、、
私もズタボロだったよ、
を知ってもらえたら
何かしらヒントになるのかな
そんなことを思いました。
みんな仲良くしてね
という意味ではないです。
親子というものは素晴らしい
というのは
幻想だということを知っていただきたかったのです。
素晴らしくもなんともありません。
親子といっても
ただの一人の人間と
一人の人間の
関係性なのです。
だから、、、
嫌いあって
憎しみあって
いいと思うのです。
親子だから仲良く、の
幻想に苦しめられているひとを
見かけることが多くなりました。
親も
子も
一人の人間です。
親子だから
分かり合える、という
愛しあえる、という
幻想を
私は嫌悪します。
そこに血の繋がりなど
意味を成しません。
ただ、、、
チャレンジする価値は
あると思っています。
母が私に教えてくれたことは
たった一つのことです。
「教育」とは
子どもに
あなたは無条件に親に愛されている
と理解させること。
それさえわかれば
心の底から理解できれば
子どもは一人で歩いてゆくのだと
思います。
keiko
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