蜂と神さま。

金子みすず

金子みすずさんという詩人が
好きです。

音楽が好きで
自分で曲をつくるようになって
それで歌詞も?
て聞かれたことがありますが

実は詩が先です。

自分で曲をつくろうなんて
思うずっと前から

詩は好きで
よく詩を書いていました。

小学校で詩を褒められた
というのは
とっても大きい喜びでした。

曲をつくるようになったのは
そのずっと後です。

震災直後
今だから言えることですが
アチコチから
結構いろんなことを言われました。

不幸ぶるな!
悲劇のヒロインか?
南相馬市さえ良ければ
それでいいのか?
被災してないくせに!
東北の他の土地にも行って
ボランティアでもしろ!
南相馬市に人を呼ぼうとするな!

まあ、書き出したらキリがないくらい
知っている人から
見知らぬ人から

辛かったです。

ズタボロでした。

辛かった、なんて書けるようになったのは
書いてみようと思えたのは

私が色んなことから
かなり回復してきているのだと
感じているからだと思います。

当時は辛いなんて言いませんでした。
よく泣く私ですが
最低限の意地はあります。

私は悲しいと言いました。

実家のある南相馬市小高区に
思いが向くのは
私にとって当たり前のことで

所詮、東京在住なのだから
小高は小高にまかせて
東北全体に目を向けるべきだ
と言われても

そんなことは正直無理なのです。

わからないんだから。

というと
勉強する気がないからだ、と。

放棄しているのではなく
やり方が違うだけです。

その土地のことは
わからない
だから、わかる人が頑張っていることを
応援する

それじゃダメなんでしょうか
直接、手を出さなきゃ
放棄したことになるのでしょうか

沢山の意見を聞きすぎて
普段であれば
動じないでいられたであろう場面でさえ

全て自分が悪い
私がダメだから
言われるんだ、、
なんて

自分を消してしまいたいような気持ちにも
なりました。

でも
そんな思考から
いつも引っ張りだしてくれたのは
地元で頑張る仲間たちの存在です。

今回発売したCD
The Voice
の帯に

この世界に
素晴らしい未来が訪れることを祈っています。

と書き記しました。

この言葉と
私が小高に思いを向けることは
私にとって
イコールなのです。

震災から四年経ち
何故、今、こんなことを書いておこうと
思ったかというと

友人で
少し私と同じいわれをされている状況を
少しだけ
耳にしたから

その人が
そこに特化して
何がいけないのでしょうか

私の友人で
震災以後、私とは一言も震災についてなんて
話したことも無いけれど
彼女が福島以外の東北のアチコチへ
出向いては
それはそれは楽しそうに(←ここ重要)
何かしらのボランティアやイベントに参加している姿をFBで目にします。

もう何年も会っていないけれど
私は彼女と友達でいれて
よかったと思います。

逆に
出処のわからない
福島はこれだけ汚れた危険な場所なのだ
という記事をやたらシェアしたりしている知人も目にします。
他人を馬鹿と思うのは嫌なので
知り合ったことを後悔するような気持ちに
なります。

まだまだ大変です。
問題もあります。
でも、何年たっても
福島は不幸な土地であって欲しいのでしょうか

大変な状況を頑張る人たち
私の知る限りでは
みんな笑顔です。

一度でいいから
その笑顔を見てから
発信してもらえないもんかな



金子みすずさんの詩。

『蜂と神さま』
蜂はお花な中に
お花は庭の中に
庭は土塀の中に
土塀は町の中に
町は日本の中に
日本は世界の中に
世界は神さまの中に
そうして、そうして、神さまは
ちっちゃな蜂の中に。




ピンポイントで、そこで頑張ることと
この世界に素晴らしい未来が訪れることは
私の中では
イコールなのです。

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