順風満帆。

あまりにサボった遡りブログ。
昨年末は、末っ子の誕生日でした。

いっつも楽しいおしゃべりと
訳のわからないギャグと
それは愛らしい笑顔で

どんな時も私を笑顔にしてくれる彼。
上の子たちと違って、
ギリギリまだ私のことも
そこまでうとましくないらしく

2人で爆笑しながら
よく話したりしています。

優しい
本当に優しい

人の心の機微を察するのに長けた子です。

その長所を思う時
素晴らしいと思う反面
とても申し訳なく
不憫に思ってしまう気持ちもあります。

早い時期に大人にさせてしまったなあ
もう少し子どもでいられたら
よかったのに、、、。

親の感情を配慮して
頑張ろうとしなくていいのに
我慢しようとしなくていいのに

私のこれまでの人生の事情で
一番寂しい思いをさせてしまった子のように
感じています。

まだ幼い頃に
私が思い余って

いつも寂しい思いさせて、ごめんね
と言ったら

寂しいの慣れてる!

と笑顔で返してくれるような子で

何かしら振り返ると
涙が出ることが多いです。

赤ちゃんや、幼稚園のとき、もっともっと
絵本読んであげたかったなあ
ごめんね
と言ったら

えーー!?
毎日読んでくれてたじゃん!
て、、

ニコニコしていました。

彼とのそんなやりとりの中で
私は足りないほうにばかり目がいき
彼は、子どもながらにも
足りている感覚に目を向けているのだということに、気付かされました。

全ては仕方ない
出来ないことは出来ない
やれることは、やるだけやってきた
その時々の精一杯だったんだから。

私が自分を責めるのはやめよう
と思えるようになったのは
彼のおかげかもしれません。

また
4人の子どもの中で
1人だけ生まれつきの爆弾というか
ハンディを持たずに生まれてきた子
ということもあり

私自身
ある意味、怖がらず
本人の生きる力に任せる
ということを

思う存分
信じることが出来た子かもしれません。

まあ、そんな
どこの親子にもある
楽しみ、喜び、悲しさ、など
一通り通過しながら
現在どんな状況かといえば

気がつけば
かなーーーーーり、
変わった人になってしまっていました、笑

どう変わっているかを
一言で言うなら

自己限定が無い

そんなの無理、とか
自分には出来ない、とかって発想が

ホントに無い、笑

好き!
と思えば、とことんのめり込んで
他の全ては忘れているので

学校は大丈夫なのか?!
この先、社会でやっていけんのか?!
と本気で思うこともしばしばですが、笑。

でも
この、のめり込んでゆく過程だけは
まるで自分を見ているように感じることもあります。

自己限定が無い
なんて書くと
才能豊かなすごい人
みたいなイメージにも聞こえますが

そういうのではなくて

限りなく自分に素直
ということです。

私は
ひねくれているかもしれないけれど

お友達と仲良くしなさい
というのが大嫌いで

この言葉だけは
言ったことはないかも。

仲良くできる友達がいると楽しいよね
は、何度となく言ったけど。

これは、私自身が
自分が仲良くしたいひと、仲良くしたくないひと、を
どうして他人に言われなきゃ、いけないの?
という思いがあるからです。

私が何か言わずとも

彼は
勝手にお友達と
すっごく仲良くしたり
大喧嘩したり
絶縁したり
また仲良くしていたり

素晴らしい友人に恵まれて
彼の財産は本当に友人だなあ

今、見ていて思います。

過去に殴りあった友達が
やっぱり大切なんだ
と気づいていけたのは

その殴りあった感情を
味わい尽くしたからのように思えて。

もし私がそこで
とにかく謝って仲良くしなさい
なんて言ったら

そういう道筋には
ならなかったような気がするのです。

殴りあったお友達と、その保護者の方には
私の立場からは、もう申し訳ない気持ちで
いっぱいでしたが

本人が今仲良くしたくないなら
仲良くしなさいとは
言いませんでした。

話がだいぶ、ずれたな、笑

永遠の赤ちゃんだった末っ子にさえ
身長抜かれました。

このひと、大丈夫なんだろか、、、
て心配になるほど
底抜けに明るく
あきれるほど自我が強く
訳の分からない変な人に
育ってくれました。

かなーーーーーり、
笑わしてくれるんだよね。

もうしばらく
よろしくね。

おまえ、大丈夫か?
て、あと1000回ぐらい言いたいなあ、笑。

次の誕生日には
私は、どんな感情を持って
彼と関わっているんだろ。

楽しみだな。

写真は
インフルエンザの時

自分の暮らす家の茶の間で
あんた、誰?!
と、叫ぶには
なかなかの勇気がいりますよ。

上から
冷えピタ
濡れタオル
マスク

ひーーー!
何してんの?!!


おまえ、大丈夫か?

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