どうして、人は
認められたいんだろう。
とある場面で
私が持っていた他人のイメージが
180度覆される出来事があり
久しぶりに結構なダメージを
受けました。
簡単に言ってしまうと
穏やかな優しい人
に見えていた方が
一瞬にして
豹変した
というのに
出くわしたんですけど、、、。
ダメージ受けて混乱したものの
もう回復してるから書けるわけで
とりあえず大丈夫です。
ちゃんと考えたい出来事でしたので
あんまり良い事とも思えないけど
書き残しておこうかな
忘備録的な意味合い含め。
同じ場所で
同じ時間を過ごしたのに
私が持っていた
その場の雰囲気の認識と
彼が言う
認識に
大きな隔たりを感じ
率直に質問してみました。
その認識に違いがあると
次の作業にすすむ際
間違いが生じるのでは
という気持ちからです。
私は
あの方々は
こういうふうに受け止め
こういう認識でいるのでは
と思ったのですが、、
というくだりは飛ばして
○○さんが
次にこうしようという作業の意図は
どういった理由からですか?
と、ききました。
で、聞いた時点で
豹変されました。
今までの
私のイメージでは
あ、それはこういうことですよ
だから、こうした意味合いです、、
僕なら、こう考えるかな
ぐらい答えてくれるような
わりと穏和で
思慮深い
そんなイメージを持っていたので
何言ってんだよ!
と
あの場にいた人たちは
みんなこう思ってるよ!
何聞いてたの?!
いきなり怒鳴られた時は
本当にびっくりしました。
なんか、、
へ?
て感じ。
怒られて悲しい、とか
声を荒げられて、怖い、とか
そこまで行きつけない感じ
へ?
な、なに?
今、何が起こってるの?
そんな混乱が生じました。
林田さんの認識が間違ってるよ
寝てたの?
話聞いてろよ!
と、なっても
確かに私は
人の話を聞いてないこともあるし
寝ぼけたような意識で
ぼやー、、と聞いてることもあるけれど
今回は違うように思う。
でも、混乱から
すっかり自分の認識への自信を無くし
あー、、
そうなんだ、、、
私が感じることって
ズレてたんだな、
まだまだ人間未熟だからかな
本質を捉える能力が弱いのかな、、
落ち込みはしないけれど
自信は無くなりました。
何より
穏やかなひとを
自分の言動で豹変させてしまった事への
罪悪感みたいな
妙な
気持ち悪い感情に支配されて
その会話を終えました。
なんだろ、、
なんなんだろ、この感じ
と思いながら
何かのヒントをもらいたい気持ちで
全く関係のない
事情を知らない第三者に
事のいきさつを話し
聞いてもらったら
思いがけない一言が、、、。
図星だったんじゃない?
て、、
これまた、へ?
みたい感じ
鳩が豆鉄砲くらったとこ
見たことないけど
おそらく
その時の私は
そんな表情をしていたように
思います。
あんまり詳しくは
話さなかったけど
その
図星だったんじゃない?
という言葉で
少しずつ混乱が解けていきました。
私は純粋に
疑問を解決したい
というような気持ちだったんだけど
もしかしたら、
その私の質問自体が
彼が
自分の認識を責められた
みたいな捉え方になったのかな
でも、それも
おかしな話で
だって真実は誰にもわからないのだから。
私はこう思っている
の合意形成が
共通認識になるわけだから
認識が違えば
それはそれで
確認していく作業が大事で
違和感に気づいた時点で
より謙虚に
より慎重に
なるはず
そこで怒り出すということは
彼は
自分の認識を
共通認識にしたいのだな
他人との認識のズレは
本人も本当はわかっている上でのこと?
だから、怒った?
頭がグルグルしました。
この仮説が
もし合っていれば
合意形成の上での共通認識を
自分が望む認識を
共通認識とする
て、
ことだよね、、、?
それって、、
他人の認識
他人の潜在的な意見を
無視するって
ことだよね?
少しずつ
頭がクリアになっていきました。
これって、もしかして、、、
ちゃんと取り組まないといけない場面なんじゃないの?
私の気の弱さで
怒鳴られたことのショックからの流れで
何もしないで
彼の認識ですすめば
将来的に
絶対揉めるんじゃないの?
そんな感触が生まれ
私なりに確認してみよう
と思いました。
まず
その場にいた方で
一番発言のない
一番消極的に見えた方へ
質問しました。
結果、彼女の認識が
私の認識と同じだとわかり
気持ちを切り替えることができました。
なんというか、、、
ただの
なんてことない
話し合いの場の、話かもしれません。
でも、
この構図って、、
子ども同士の遊びの場面から
国際的な政治の場面まで
レベルの違いこそあれど
展開されている構図は
同じ成立ちなのかな
なんて思えて
しっかり確認して
自分の姿勢を貫きたい衝動にかられました。
結果
その場にいた全員が
私と同じ認識でいた、、、、
ただ、誰も反論しなかったのは
明確に
自分と他人の意見を意識していなかったから。
なんとなく、、、
そんなもんなのかな、、
というのと
自分はこう思っている
雰囲気から察するに
みんなも、ほぼ同じように思っているみたいだから
大丈夫だろう
安心だ、的な
まさか
ほっといたら
自分が思うのと違う方向にすすむ
なんて
そこまで危惧していない
だから特別
発言もしなかった
そういうことだったみたいです。
具体的な内容が書けないので
わかりにくいと
思いますが
私が言いたかったのは
話合い
というものに臨むとき
明確な意思があるひとが
話合いの着地点を
誘導できる可能性について
今一度
考えてみませんか
ということです。
自分の意見を述べる
ということは
目立ちたがりとか
恥ずかしがり屋とか
そんなこと言ってる場合ではない
意見を発言しないことが
他の誰かに舵を握らせることに
加担することもあり得る
という話です。
今回のケースで
救いだったのは
私がまだ
あいつムカつく!
とか、
このヤロー
何言ってやがる!
となる前に
第三者に話せたこと。
何が何だかわからない
私、混乱してるの
の状態で話せたことが大きいです。
相手に悪意を持ってからだと
私は多分
自分の正当化に
始終集中し
無意識に自分に都合のよい話を
してしまったようにも
思います。
なるほどな、、
と
色々わかるほどに
納得しました。
目の前で何が起きているのか
わかってしまえば
別にその人を
良い人、悪い人、とジャッジしなくてすむ
余計な悪意を持たないですむ
こういう構図を
一発で見抜けるような人になれたら
かなり
心穏やかな時間が
増えるのかもしれないね。
さて、、
お茶でも
飲むかの、、、。
keiko
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