時の流れ。

時の流れというものは

ある意味
暖かく

ある意味
残酷である

避難指定が解除になり
小高に人がいた

とても少ないけれど
住んでいる人もいた

仲間がいた

こんな日が来たんだなあ

やっと振り返ることが出来ました。

東京での日常に戻り

数年前を思い出していました。

友人との野外ステージ
小高オカエリ夏祭り
わいわい騒いで遊んだ
わいわい騒いで遊べる人数の人がそこにいた。

どれも1人じゃ出来ないこと。

数年前のあの頃は
こんな日を
一生懸命想像するのに

いくら想像力に力をこめても
浮かぶ映像は儚げだった。

数年前
人の住んでいない町を
取材されたり
テレビに映し出されることに
嫌悪感を持った

住んでいない町は
観光名所ではないし

住んでいない家は
観光スポットではない

ひねくれた心が
沢山のものを拒んでいた

とにかく
小高じゃない人が
小高を使うことが
とても嫌だった

でも
知ってほしい
見続きてほしい

それなら、、、

私がやろう

なんなら住んでない実家も映すか?

塚原の海がなくなった原風景を
残しておきたくて
笑顔の道を作った

そして

人の住んでいない町を
いつか
そうではなくなる願いを込めて

人の住んでいなかった時を
残しておこうと思った

小高駅前通りを歩いた

避難先から
花に水をやりにきてるおばちゃんがいた

黙って駅前通りを歩いた

走る車がいないから
道の真ん中を歩いた

2度とこんな撮影は
出来ませんように

歩きながら
沢山の思いが込み上げた

ナルシスト?
かっこつけてる?
映像を見て笑われたりもした

腹も立たず
悲しくもならなかった

ただ

駅前通りの真ん中を堂々と歩くなんて

2度と

こんな撮影が出来ないことを願った

このPVに関わってくださった
全ての方に感謝します。

『あの時にしか撮れなかった映像』

やっと

そんな言葉が使えるように
なりました。

https://youtu.be/k6duKQMsfD4

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keiko