もっと感情的になってもいいんじゃない?

数日前の出来事

仕事なのか遊びなのか
打ち合わせなのか、楽しい飲み会なのか
境界線があまりにもボーダーな時間を過ごしていました。

別々に長い付き合いになる男友達を
それぞれに紹介する
という場面でしたが

2人とも
私にとって本当に
馬鹿丸出しのぶっ飛んだ友人であり
人生に関わる節目で助けてもらえた友人であり
クソ馬鹿なのに知恵と力がある

いい男

なんだよね


だから
そんな2人を引き合わせ
一緒に飲めた時間が本当に嬉しかった。

そこで、2人から
同じ言葉が発せられまして

けーこは、、

けーこちゃんは、、

もっと感情的になってもいいんじゃないの?
俺、納得いかねーわ

今まで別々な場面
別々なジャンル(人生上)で
付き合ってきた友人に2人に

ほぼ同じことを思われていたのは
結構ビックリしました。

なんというか
自分の考え方の傾向性を
ズバリ指摘されたような

自分の中の戒を
破りたくなりました。

私の戒

それは

神様が決める

という思想に全て委ねることです。

簡単に言ってしまうと
私がなんかしなくても
発言しなくても

わかるひとには、わかる
見ていてくれるひとは必ずいる
だから私は何も反撃しない
というもの

したことは必ず自分に返ってくる
だから
私が何かしなくても
私が報われない結果にはならない
というもの

でも

2人からの言葉で
戒を破りたくなりました。

それで私が
下衆な人間になったということには
ならないのかもしれない

と思えるようになりました。


結構
理不尽な目にあってきています。

電話で直接話していたのに
翌日ブログで
圭子さんは、こうするようだ
知らなかった

とか書かれたり

もらえるべきギャラが全くもらえず
私の人間性のせいにされたり

今となっては
どこまでが理不尽で
どこからが愚痴なのか
わかりません。

ただ、
ロッコクソングに絡むことで
私に出演を拒まれたとネットで書かれた時は
いいかげんにしてくれ、と
思いましたけど
こーゆう事実無いからね!
て、すぐ事務局に連絡しましたけど。

けーこがそんなことするわけないじゃーん
て笑顔に救われましたけど


私の発言や
私の態度、立ち振る舞いで
何か言われるのは仕方ないし
考え方は人それぞれだから
もうそれはいいです。

でも
事実無根なことを、、

となると

信じるひとは、信じればいい

わかってくれるひとは必ずいる

そういった思考で自分を収めるしか
方法がありませんでした。

そんな昔の
蓋をしていた感情が
むくむくと起きあがることが
ありました。

あーーー、、、
私は神様には
なれないんだなあ、、て。

今日

あーー
俺も津波で流されたかったなあ
て言葉を聞いてしまいました。

人生大変、
疲れることもあるよ、という
気の利いたブラックジョークのつもりなのでしょう。

通常演技が身についている私ですが
心は掻き乱され
一瞬にして
怒りと絶望に支配され
その場に長くいることは出来ませんでした。

怒りと言っても
あったまきたー!
なんてレベルじゃなく
心は風神雷神の形相で
もし日本に法律と刑罰が無かったら
私に家族がいなかったら

その場で殺したかった。

それは、
いきりたった行き過ぎた考えだったとしても
その場で顔にツバを吐いても
よかったのかもしれない。

私は

いつから

何がきっかけで

心を去勢されたのだろう



だまって聞こえないふりをしました。

でも心の中には

私の同級生も津波で死んでんだよ!
津波で危険なひとを助けに行った消防団で
死んでんだよ!
流されたかったなら、さっさと死んで
おまえの命、私の友人にくれてやれよ!
死ぬ勇気もないくせに!

自分の子どもを津波で流された同級生もいんだよ!
そいつの前で、同じセリフ言ってみろ!

南相馬市だけじゃない!
福島のひと全員にボコボコにされて
さっさとしねや!

ですが私は笑顔で

帰りますね〜♪( ´▽`)
と言いました。

私が心の声を
現実の声として相手にぶつけなかったのは
勇気がないわけでも
我慢したのでもなく

身を守る手段です。

私が感情に任せて反撃すれば

あー、林田さん
またムキになって
とか

被災地に絡むひとはめんどくさい
とか

思われ

会話が長引くことで自分が消耗するのが
嫌だったからです。

おそらく
このブログも数日後に読まれることでしょう

そして
もしかしたら
それこそ、めんどくさい展開になるのかもしれません。

また、加えて

ブログで

特定の個人を書くことは
自分がされた経験上
どれだか不愉快で理不尽なものかは
知っています。

だから
絶対にしたくなかった。
でも、

どう思われてもいい

私は

許せなかった


自分の感情と
これから起こり得るであろう
熊本の方々の状況を鑑み
先のブログを書きました。

人は
人を助け
人を思いやり
人を心配し

無力を思い知らされながらも
それでも力になりたいと

何も出来なくても
思いは
祈りは

あなたのそばにある

それが私のひととしての理想であり
願いであることも
今日の出来事で気づきました。

ですが

気づかせてくれて
ありがとう
とは、まだ思えません。

もっと自由に
感情的に
馬鹿丸出しで
めんどくさいやつになる覚悟を

整えている最中です。

こんな思いはもう充分です。

東日本大震災のあと
一番思いやり深く動いてくださったのは
阪神淡路大震災を経験なさった皆様でした。

そして今

地元の
福島の
東北の皆様の

熊本の皆様へ向ける言葉、動きに

心、暖められています。

でも、。


人間て、経験が全てですか?

日本には

いつから想像力が無いひとが
増えたのですか?

無知は罪だ。

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keiko