演技を信じるな。

熊本での地震で被災された皆様に
1日も早く笑顔が訪れますように
お祈りいたします。

もはや嫌な部類のマスコミの方々に
言いたい言葉もありませんが

いいマスコミの方もいらっしゃるので
あえて嫌な部類と表現させていただきますが

マスコミに関係のない一般の方にも
伝えたいこと

当事者の演技を信じるないで欲しい
ということです。

天災、人災、他、
悲しみとも悔しさともわからず
出来事の渦中にあるひとというものは
おそらく
本人が意識する以上の
心の揺らぎの渦中にあるということです。

また渦中の後
まるで落ち着きを取り戻したかのように
見える時期になっても

その悲しみや怒りは
心の奥深く、深いとこに根付いたままです。

でも、どんな時でも
どんな事でも
まともな人間であれば
聞かれたことには答えます。

その答えや、答え方、表情、というのは
私は全て演技であると思っています。

私がそうであったように
今現在もそうであるように

本当の感情で答えることなど出来ないのです。
本当の感情で答えてしまったら
自分が崩壊するのは目に見えているし
そんなことをしてしまったら
自分の身が持たない。

本当の感情でいえば
いちいち号泣レベルな状況も
ある時は、あるのです。

いちいち号泣レベルの感情に
静かに蓋をして

ええ、大変ですけど
だいじょうぶです。

言い換えれば
これは身を守る手段です。

悲しかったですか?
悲しかったです。

大変ですか?
はい、大変です。

私の中では、これは全て演技です。

悲しいとか、そーゆうレベルじゃねーんだよ
クソが!
いちいち聞くな!
しね!

こちらが本心。

辛い状況にあるのだろう
そういった思いやり、想像力が持てるひとは
そんなところはきちんと解釈した上で
必ず次の展開の言葉を投げかけてくれていました。

大変で悲しみな中にあるひとに向かって
大変で悲しいですか?
なんて聞かない。

大変な状況だろうから
私はこうするね
私はこう力になりたいよ

そんな意思を伝えてくれたりします。

気丈に普通にふるまうひとに
演技を求める会話をするのは

もう、いいかげん終わりにして欲しい。

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keiko