ただいまー!
\(^o^)/
無事シカゴから帰ってまいりました。
旅のブログを続けます、、、
とかなんとか先のブログで書いておいて、いきなり、ただいまーかよっっ!と、自分にツッコミ入れつつ。笑
見守り続けてくださった皆様、本当にありがとうございました。
最高の旅でした。
気持ちの中の予定では、毎晩マメに更新するつもりでいたのに
毎日毎日めいっぱい遊び回って、ホテルに戻ると、いつ眠りに落ちたのかわからない
そんな楽しい日々でした。
全ての日程が終わった今、私がシカゴに飛んだ一番の目的を書いておきたいと思います。
以前に書いたブログと内容は重複しますが、私が書きたい。
Sugar Blueというハーモニカプレイヤーをご存知でしょうか。
私は彼の音楽がずっと前から
もうほんっとに、ずーっと前から大好きで。
幾度となくCDに合わせて吹いていました。
四年前、もうすぐ五年になります。東日本大震災が起こりました。
私の実家は福島県南相馬市小高区というところにあります。原発20キロ圏内のところです。
もちろん私の両親も、例に漏れず、未だ借り上げ住宅に暮らしています。
震災直後、津波で町は飲まれ、原発では水素爆発が起き、住民は一斉避難となりました。
私は両親と一週間連絡が取れませんでした。
希望を捨ててはいけない!お父さんお母さんは絶対生きている!
いや、希望を持っていても、真実を知った時がっかりするだけだ、覚悟しよう。両親はきっと津波にのまれて死んだんだ。
テレビを見ても、食事をしても、眠っても、自分が生きているという実感が、少しずつ薄れていきました。
交互にやってくるこの希望と絶望という感情の繰り返しに、私は少しずつ自分を保つことが出来なくなっていきました。
あるとき、ふと、、、
ハーモニカを手にとりました。
気がつくと、ずっと、Sugar Blueの、ある曲を
ただ、その一曲を
繰り返し、繰り返し、ずっと吹き続けていました。
何故そうしたのかは、未だに自分でもわからない。
その曲の歌詞は、決して、希望を捨てるな、とか、元気を出して、なんて内容のものではないのですが。
音色なのです。
言葉のように意味を持たない「音色」というものに、私は救われたのです。
私は
彼の音楽に、心を救われたのです。
いつしか昼と夜の区別がつかなくなり、吹き続けていた唇の端が切れて血が流れだした頃
留守録で、母の声を聞けました。
生きてた!!!
もう大丈夫!という意味に受けとったその留守電は、両親がそこでの死を覚悟し、最後に娘の声を聞きたいと思ってかけてくれた電話だということを、しばらく時間が経ってから知りました。
車にあったガソリンで逃げれる距離は限りがあり、両親はまだ危険だといわれる場所までしか、逃げれなかったのです。
そこからです。
けーこ!
大丈夫だ!おんちゃん迎えに行ってくっから!大丈夫だがらな!大丈夫だがらな!
会津に住む叔父が、雪の中ガソリンスタンドに4時間あまり並び、限られたガソリンを手に入れ、両親を迎えに行ってくれました。
その後は、おじちゃん、おばちゃん、私のいとこが本当に有り余る優しさで、私の両親を助けてくれました。
この状態まできて、はじめて、私はハーモニカケースに、ハーモニカをしまうことが出来ました。
数日ぶりに、ごはんが美味しいと感じました。
そして
心の中で
Sugar Blueさんに
何度も何度も、ありがとうと言いました。
あなたの音色は、いったいなんなんだろう。
あなたの人間性は、いったいどんななんだろう。
雲の上の、憧れのミュージシャン。
私はいつか
死ぬまでに一度でもいい
私はいつか
あなたに会いにいきたい
おそらく無理だろうけど、現実味のない話だけど、会って確かめてみたいなあ
うっすらと、ぼんやりと、芽生えた感情。
あなたに会いたい。
私は、あなたに、会いたい。
\(^o^)/
無事シカゴから帰ってまいりました。
旅のブログを続けます、、、
とかなんとか先のブログで書いておいて、いきなり、ただいまーかよっっ!と、自分にツッコミ入れつつ。笑
見守り続けてくださった皆様、本当にありがとうございました。
最高の旅でした。
気持ちの中の予定では、毎晩マメに更新するつもりでいたのに
毎日毎日めいっぱい遊び回って、ホテルに戻ると、いつ眠りに落ちたのかわからない
そんな楽しい日々でした。
全ての日程が終わった今、私がシカゴに飛んだ一番の目的を書いておきたいと思います。
以前に書いたブログと内容は重複しますが、私が書きたい。
Sugar Blueというハーモニカプレイヤーをご存知でしょうか。
私は彼の音楽がずっと前から
もうほんっとに、ずーっと前から大好きで。
幾度となくCDに合わせて吹いていました。
四年前、もうすぐ五年になります。東日本大震災が起こりました。
私の実家は福島県南相馬市小高区というところにあります。原発20キロ圏内のところです。
もちろん私の両親も、例に漏れず、未だ借り上げ住宅に暮らしています。
震災直後、津波で町は飲まれ、原発では水素爆発が起き、住民は一斉避難となりました。
私は両親と一週間連絡が取れませんでした。
希望を捨ててはいけない!お父さんお母さんは絶対生きている!
いや、希望を持っていても、真実を知った時がっかりするだけだ、覚悟しよう。両親はきっと津波にのまれて死んだんだ。
テレビを見ても、食事をしても、眠っても、自分が生きているという実感が、少しずつ薄れていきました。
交互にやってくるこの希望と絶望という感情の繰り返しに、私は少しずつ自分を保つことが出来なくなっていきました。
あるとき、ふと、、、
ハーモニカを手にとりました。
気がつくと、ずっと、Sugar Blueの、ある曲を
ただ、その一曲を
繰り返し、繰り返し、ずっと吹き続けていました。
何故そうしたのかは、未だに自分でもわからない。
その曲の歌詞は、決して、希望を捨てるな、とか、元気を出して、なんて内容のものではないのですが。
音色なのです。
言葉のように意味を持たない「音色」というものに、私は救われたのです。
私は
彼の音楽に、心を救われたのです。
いつしか昼と夜の区別がつかなくなり、吹き続けていた唇の端が切れて血が流れだした頃
留守録で、母の声を聞けました。
生きてた!!!
もう大丈夫!という意味に受けとったその留守電は、両親がそこでの死を覚悟し、最後に娘の声を聞きたいと思ってかけてくれた電話だということを、しばらく時間が経ってから知りました。
車にあったガソリンで逃げれる距離は限りがあり、両親はまだ危険だといわれる場所までしか、逃げれなかったのです。
そこからです。
けーこ!
大丈夫だ!おんちゃん迎えに行ってくっから!大丈夫だがらな!大丈夫だがらな!
会津に住む叔父が、雪の中ガソリンスタンドに4時間あまり並び、限られたガソリンを手に入れ、両親を迎えに行ってくれました。
その後は、おじちゃん、おばちゃん、私のいとこが本当に有り余る優しさで、私の両親を助けてくれました。
この状態まできて、はじめて、私はハーモニカケースに、ハーモニカをしまうことが出来ました。
数日ぶりに、ごはんが美味しいと感じました。
そして
心の中で
Sugar Blueさんに
何度も何度も、ありがとうと言いました。
あなたの音色は、いったいなんなんだろう。
あなたの人間性は、いったいどんななんだろう。
雲の上の、憧れのミュージシャン。
私はいつか
死ぬまでに一度でもいい
私はいつか
あなたに会いにいきたい
おそらく無理だろうけど、現実味のない話だけど、会って確かめてみたいなあ
うっすらと、ぼんやりと、芽生えた感情。
あなたに会いたい。
私は、あなたに、会いたい。
keiko
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