私のブログは、私のブログ。
私の思いや、日々の感情、出来事。
そして何より老後の楽しみ。
そんな括りというか、
自分の中のテーマがあって。
政治的思想や、それに絡む世の中の色々
そういった類のものは
今まで意識的に避けてきました。
でも、最近、、
何かあったわけではないです。
敢えて言うなら年齢でしょうか。
45歳という
数字だけ見れば
立派すぎる
大人の中の大人のような自分の年齢を
思った時
書きたい内容が増えてきました。
寧ろそのほうが
中身はさて置いても
1社会人として自然ではないかと。
最近目にしたニュース?
て、ほどでもないか、、
話題?
に、なるのかな
シングルマザーの貧困
という問題に
少し思うところがありました。
シングルマザー、、て
カタカナにすると、まあまあイケてる気もするけど
単純に母子家庭。
その母子家庭の貧困の原因の一つに
国の公的サポートがおかしくないか?
という記事でした。
なんでも
児童なんとか手当が
子ども1人目は4万なんぼで
二人目以降は5000円だとか。
一月5000円では
育ちざかりの子どもの食費にもならない、と。
国はいったい何をしているのか?!
おかしいではないか?!
という記事でした。
本当にそうなんでしょうか?
だから国は、、、
と思う前に
私は思うことがありました。
でもこれ、、
養育費ちゃんとあったら
手当いらないよね?
現在の日本で
離婚した男性の養育費の支払いをきちんとされてる人の割合が3割切ったとか
切らないとか。
ということは、
養育費をきちんと支払わない
7割の男性のケツを
税金で拭いてやれよ
という論理なわけです。
おかしくないですか?
母子家庭の貧困
という記事にのぼる貧困家庭の原因て
結局そこですよね?
子どもがきちんと育つ為の養育費を
きちんと受け取っている母子家庭に
貧困はあるのでしょうか。
決して裕福ではなかったとしても
記事になるような貧困は
あるのでしょうか。
養育費の支払い義務というものの
法整備が
私は今後、本当に必要な事のように
感じています。
そっちが先だ、児童なんとか手当は後で
とは思っていません。
その間にも
子どもは育つわけだから。
誤解しないでいただきたいのは
児童なんとか手当の整備を後回しにしろというのではないです。
旦那様が亡くなられた家庭もあるし
もちろん奥様も然り。
事情は様々ですので
そういったひとり親家庭には
一刻も早くサポートを!
と思います。
ただ、
どうなんだろ、、
例えば
固定資産税の支払いを
著しく怠れば
家は差し押さえられるのに
養育費の支払いを
著しく怠ったひとには
何の強制もきかない
もちろん家と子ども(人間)は違います。
でも
家を無くすのと同様に
子どもも死ぬかもしれないのです。
今の日本には生活保護法もあるから
命は死にたえはしないでしょう。
でも、心は死ぬかもしれません。
貧困母子家庭の母は
必死に働いていて
それこそ身体を壊すほど働いていて
でも同じ割合の責任をもつ
もう片方は
養育費の支払い
つまり責任を果たさずとも
何も罰せられることもない
その矛先のように思えて
児童なんとか手当がおかしい
国はなんとかしないのか?
は
どうしても違和感を覚えるのです。
ここ近年
私のまわりにも
友人、知人、たくさんの離婚した男性が
います。
幸いにも
私のまわりには
俺、養育費あるからお金大変なんだよー
なんて、
ビール飲みながら笑って話してくれる男性ばかりです。
ひとり
養育費なんて誰が払うかよ
逃げ切った!
と言った知人とは
自分の中で
縁を切りました。
どんな子どもも
男女ふたり、両親がいないと
生まれてこれないわけで。
もしその両親が養育費を払えない状況にあるなら
そのまた両親が払うとか
様々な事情があり
離婚も死別も
人間には感情があるから
致し方ないことだと思います。
でも責任は別です。
私はそう思います。
7割という数字は
よくよく考えると
ものすごい数字です。
45歳という
大人の中の大人のような年齢になった今
男性を見る目が
本当に変わりました。
気の合うひとよりも
話が面白いひとよりも
責任感の強い男性に
惹かれます。
自分の生活なんてめっちゃくちゃなのに
養育費はきちんと毎月振り込んでいる
という方もいました。
かっこいいな、と思いました。
離婚したりなんだり
家庭があってもなくても
孤独な方も多いでしょう。
自分の人生を悔やんでいるひとも
多いでしょう。
もちろん私も
その中の1人です。
でも
責任を果たしていれば
見ているひとは必ずいると思うのです。
見ているひと
それは自分です。
間違いや後悔があっても
責任を果たすということが
自分に誇りを持つことのひとつになるよう
願ってやみません。
そして
色々あるけど
責任は果たしてくれた
と
万が一
子どもに思ってもらえたら
それが
皺寄せをくらった子どもへ対する償いと
精一杯の愛情が伝わった瞬間なのだと
思うのです。
児童なんとか手当の額の話題と並行して
そこも一緒に考えられないものか、、と
その認識
風潮が高まれば
養育費払うひとと
払わないひとの割合が
逆転しないものかと、、
ふと
そんなことを思いました。
私の思いや、日々の感情、出来事。
そして何より老後の楽しみ。
そんな括りというか、
自分の中のテーマがあって。
政治的思想や、それに絡む世の中の色々
そういった類のものは
今まで意識的に避けてきました。
でも、最近、、
何かあったわけではないです。
敢えて言うなら年齢でしょうか。
45歳という
数字だけ見れば
立派すぎる
大人の中の大人のような自分の年齢を
思った時
書きたい内容が増えてきました。
寧ろそのほうが
中身はさて置いても
1社会人として自然ではないかと。
最近目にしたニュース?
て、ほどでもないか、、
話題?
に、なるのかな
シングルマザーの貧困
という問題に
少し思うところがありました。
シングルマザー、、て
カタカナにすると、まあまあイケてる気もするけど
単純に母子家庭。
その母子家庭の貧困の原因の一つに
国の公的サポートがおかしくないか?
という記事でした。
なんでも
児童なんとか手当が
子ども1人目は4万なんぼで
二人目以降は5000円だとか。
一月5000円では
育ちざかりの子どもの食費にもならない、と。
国はいったい何をしているのか?!
おかしいではないか?!
という記事でした。
本当にそうなんでしょうか?
だから国は、、、
と思う前に
私は思うことがありました。
でもこれ、、
養育費ちゃんとあったら
手当いらないよね?
現在の日本で
離婚した男性の養育費の支払いをきちんとされてる人の割合が3割切ったとか
切らないとか。
ということは、
養育費をきちんと支払わない
7割の男性のケツを
税金で拭いてやれよ
という論理なわけです。
おかしくないですか?
母子家庭の貧困
という記事にのぼる貧困家庭の原因て
結局そこですよね?
子どもがきちんと育つ為の養育費を
きちんと受け取っている母子家庭に
貧困はあるのでしょうか。
決して裕福ではなかったとしても
記事になるような貧困は
あるのでしょうか。
養育費の支払い義務というものの
法整備が
私は今後、本当に必要な事のように
感じています。
そっちが先だ、児童なんとか手当は後で
とは思っていません。
その間にも
子どもは育つわけだから。
誤解しないでいただきたいのは
児童なんとか手当の整備を後回しにしろというのではないです。
旦那様が亡くなられた家庭もあるし
もちろん奥様も然り。
事情は様々ですので
そういったひとり親家庭には
一刻も早くサポートを!
と思います。
ただ、
どうなんだろ、、
例えば
固定資産税の支払いを
著しく怠れば
家は差し押さえられるのに
養育費の支払いを
著しく怠ったひとには
何の強制もきかない
もちろん家と子ども(人間)は違います。
でも
家を無くすのと同様に
子どもも死ぬかもしれないのです。
今の日本には生活保護法もあるから
命は死にたえはしないでしょう。
でも、心は死ぬかもしれません。
貧困母子家庭の母は
必死に働いていて
それこそ身体を壊すほど働いていて
でも同じ割合の責任をもつ
もう片方は
養育費の支払い
つまり責任を果たさずとも
何も罰せられることもない
その矛先のように思えて
児童なんとか手当がおかしい
国はなんとかしないのか?
は
どうしても違和感を覚えるのです。
ここ近年
私のまわりにも
友人、知人、たくさんの離婚した男性が
います。
幸いにも
私のまわりには
俺、養育費あるからお金大変なんだよー
なんて、
ビール飲みながら笑って話してくれる男性ばかりです。
ひとり
養育費なんて誰が払うかよ
逃げ切った!
と言った知人とは
自分の中で
縁を切りました。
どんな子どもも
男女ふたり、両親がいないと
生まれてこれないわけで。
もしその両親が養育費を払えない状況にあるなら
そのまた両親が払うとか
様々な事情があり
離婚も死別も
人間には感情があるから
致し方ないことだと思います。
でも責任は別です。
私はそう思います。
7割という数字は
よくよく考えると
ものすごい数字です。
45歳という
大人の中の大人のような年齢になった今
男性を見る目が
本当に変わりました。
気の合うひとよりも
話が面白いひとよりも
責任感の強い男性に
惹かれます。
自分の生活なんてめっちゃくちゃなのに
養育費はきちんと毎月振り込んでいる
という方もいました。
かっこいいな、と思いました。
離婚したりなんだり
家庭があってもなくても
孤独な方も多いでしょう。
自分の人生を悔やんでいるひとも
多いでしょう。
もちろん私も
その中の1人です。
でも
責任を果たしていれば
見ているひとは必ずいると思うのです。
見ているひと
それは自分です。
間違いや後悔があっても
責任を果たすということが
自分に誇りを持つことのひとつになるよう
願ってやみません。
そして
色々あるけど
責任は果たしてくれた
と
万が一
子どもに思ってもらえたら
それが
皺寄せをくらった子どもへ対する償いと
精一杯の愛情が伝わった瞬間なのだと
思うのです。
児童なんとか手当の額の話題と並行して
そこも一緒に考えられないものか、、と
その認識
風潮が高まれば
養育費払うひとと
払わないひとの割合が
逆転しないものかと、、
ふと
そんなことを思いました。
keiko
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