生活習慣なんでしょうか?
ブログ、、
一回休むと、
とことんおやすみしてしまいます。
またぼちぼち書こうかな。
先日
福島県南相馬市小高区
小高復興秋祭り
にて
演奏してきました。
以前の私であれば
どんなライブでも
なんとかかんとか告知して
足を運んでくださった皆様への御礼
感謝の気持ちだけは
必ず書いていたように思います。
ただ今回に限っては
FBでの仲間の動きに助けられることは
あっても
自分のブログで書いて
ということが
出来ないでいました。
ステージに立てる喜びが
いつもは何にも勝り
相変わらずの意味不明な
とんでもねー文章で
それでね、それでね、
楽しかったー!
みたいな記憶があるのですが。
自分の行動を振り返り
初めて自分の内面に気づいてゆく
そんな心の動きがありました。
私が育った町
小高町
現在は南相馬市小高区です。
本来なら
生まれ故郷!
凱旋ライブだぜ!
となるのでしょうが
やはり
原発20キロ圏内の
誰も住んでいない町で
演奏し、歌う、ということは
頭では充分過ぎるほど
理解している現実を
心できちんと
受け止めなくてはいけないような
そんな作業でした。
地元で頑張る仲間や
幼い頃から顔見知りの
おじちゃん、おばちゃん
遠方からの仲間も来てくれました。
新しい出会いもありました。
それは本当に嬉しかったです。
笑顔の道
それは私にとって
大好きな小高の海に走る道
東京から続く国道6号線
それが私にとっての道です。
震災からかなりの時間が経ち
それでも未だ道が繋がっていない道
いや、道は繋がったのか?
でも
小高町に人は住んでいない。
私が立つ小高町駅前通りには
こんなに人が溢れているのに
私のステージを見て
祭を楽しんだ人達が
帰る家は小高にはない。
感謝と悲しみ
人間は一度に二つのことは
考えられないはず
でも
笑顔の道を歌っている時だけは
みんな、ありがとう!
ここまでこれたね!
という気持ちと
まだなのか?
まだ、頑張らないといけないのか?
という気持ちが交互にやってきて
自分でもよくわからない精神状態に
陥りました。
音楽は本来
素晴らしいもの
人を元気にするものと
信じて疑わずにやってきました。
それが
ほんの一瞬ですが揺らぎそうになった時
助けてくれたのは
一緒にステージに立ってくれた
相沢ゆうぞうちゃんと
山田恵喜の存在でした。
私、まだまだ、だなあ。
ステージが終わると
沢山の仲間の笑顔がありました。
頑張ろう!
て、
また思えるところが、、
笑顔の力なのかなあ。
あー、、またニコニコして見てるー
恥ずかしいっちゅーか、
あー、もう、、
と心のどこかでいつも
見にきてくれる母に対して
感情の整理がつかないでいたのに
今回、母が体調を崩し病院にいて
見に来れませんでした。
いつも、うっとおしいと思いながら
客席の後ろの方でニコニコしながら
見ている母の姿を
探す自分がいました。
いない人を探すというのが
こんなにも切ないものだと
初めて知りました。
こんなんではダメだ!
前を向いていこう!
頑張るって決めたんだ!
いつも南相馬市から東京に戻るときは
仲間の笑顔を思い出しては
自分を鼓舞してきました。
夜には原町の銘醸館というところで
初のワンマンをやらせていただきました。
沢山のいい出会いがあり
1人じゃないんだなあ、て
思えました。
みんな、ありがとう。
本当にありがとう。
全てが終わり、東京に戻り
まだぽあーんとしてた頃
友人から電話をもらいました。
なんだか気持ちがまとまらないまま
ベラベラしゃべっていたら
そんなに込み入った話をしたことのない友人から、
それでいいんだよ
もっと甘えたほうがいいよ!
て、言われてしまいました、笑
これ以上、どう人に甘えんのよ!
て、笑いながらも
これでいいのかもしれない
と思えました。
そう思った瞬間に
涙がポロポロこぼれてきました。
私を小高復興秋祭りに呼んでくださった
実行委員の根本さんに
心から感謝しています。
そして少し時間が経った先日
来なくていいよ
と目を見ず言い続けてきた母に
次は絶対見にきてね!
見にきて!
て初めて言えました。
頭では理解している現実を
心で受けとめる作業というのは
照れくさいとか
かっこつけていたい
余分な感情から
私を素直にしてくれたのかな。
道を歩く
生きていく
ということは
裸になってゆく作業に
どこか似ていると
思いました。
keiko
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