仲間と友達。



思い出したことをポツリ、ポツリと。
以前は、

もう何年も前の頃だけど

 
仲間という言葉が

とても嫌いでした。

 
なんともいえない

薄っぺらい連帯感のアピールみたいに

感じて

 
俺たち仲間だろ?

て場面は何よりも苦手でした。

 
別にその人を

嫌いなわけではないのだけれど

 
友達じゃダメなの?

知り合いじゃダメなの?

なんて言葉が

 
いつも喉まで出かかっていました。

 
そんな私が

ここ近年

仲間という言葉をちょくちょく

しかも何の違和感もなく

使うようになりました。

 
きちんと、しっかりと、

仲間というものを実感する場面に

恵まれて

 
初めて

 
仲間という言葉の意味が腑に落ちたのかもしれません。

 
仲間というのは、

向かうべき場所が同じ

もしくは近いひと

 
今、私の中の解釈はそんな感じです。

 
会えなくても

仲良くなくても

何年も音沙汰なくても

 
仲間は友達に含まれるけど

友達は仲間に含まれない

 
だから

会ったことないのに

私が勝手に

仲間だと思っているひとがいます。

 
友達ではないのかもしれないけど

仲間だと確信しているひとがいます。

 
不思議なものです。

 
ものすごく素直な反面

ものすごく捻くれ者なのか

 
私には仲間ができました。

 
仲間はどんな時も私を優しく気遣って、、

なんてことはしません。

 
会えたら、yeah!

連絡取れたらyeah!

 
で、

 
あとはほったらかしです。


 
十数年前に

小学校の情緒障害学級で

演奏したことがあります。

 
アスペルガーとか

高機能性自閉症

多動

広汎性発達障害

の観客しかいないステージ立ったのなんて

 
私ぐらいじゃないの?笑

 
個性の塊のようなやつらが

いえーい!

うぎゃー!

うほー?!

とか叫びながら

走り回りながら

の中で

 
どブルースをやったわけです。

 
もう、そのダイレクトな反応が

愛おしくてたまりませんでした。

愛おしくてたまらないやつらが

社会の中では生きにくく

ここでトレーニングを受け

頑張っている姿に

 
涙がこぼれました。

 
その学級の先生の中の

責任者の先生に

質問してみました。

 
私は彼らに何ができますか?

今後もっと力になれるとしたら

どうすればいいのですか?

 
先生はニコニコしながら

 
関心を持ちながら

ほっといてあげてください。

困った時には助けてあげてください

 
と言いました。

 
関心を持つと手を出してしまいます。

あれこれやってあげてしまうでしょう。

手を出さなければ

関心を持ち続けるのは

難しい、、いや、薄らぐかもしれません。

 
私は先生に

 
仲間ってなんですか?

と聞いたわけではないのに

 
仲間という言葉を思ったとき

何故か

 
先生のことを思い出しました。

 
世の中の仕組みというものは

本当に

 
あっちこっちに

ヒントが隠されているんだね。

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keiko