ペットを飼うということ。

ノー・ヴォイス
という映画を見て


久しぶりに
ペット、という存在について
考えさせられています。


私は、
生き物を飼う
ということが


とても苦手です。


それは犬猫に限らず
鳥や魚も。



この先も、飼うか?
と問われれば、
答えは多分、いいえ、です。



動物が嫌いかと言えば
そんなことはなく

むしろ大好き


子どもの頃は
猫も、犬も、飼っていたし。

高校生のころは
毎日の夕方の犬の散歩は
私の仕事でした。
雑種のムクや、その娘のチャウ、
柴犬のリュウくん。
みんな本当に可愛かった。
毛だらけになって
一緒に遊んでいました。


今も、
友人の家に犬猫いれば
触りまくり
抱っこしまくり

ひゃっほー!
てな具合で一緒に遊んでもらいます。



では、そんな私が
何故、自分では飼いたくないかというと








私より先に死ぬから






理由は、これだけです。





生き物には
それぞれの寿命があり


私が今飼ったとして
私が100歳まで生きたとしても

私より長生きして
私を看取ってくれるペットは
多分、いないでしょう。



人間とのお別れ
それは、
さほど長い時間を
ともにしていない友人でも
こんなに辛いのに


見返りなく
無償の
ただひたすらに私に
愛情を与えてくれるペットとの
お別れなんて


耐えられるんだろうか?



他人が聞いたら
笑われるような
こんな理由が

正直な気持ちです。






で、



それを再確認したとき



ペットを飼っていた
私の友人、知人たちを思い出しました。



ある友人は
今年、飼っていた猫が亡くなりました。


ちゃんと手厚く看病して
最後のともらいまで
きちんとしている姿を知ったとき


今まで、生前のその猫ちゃんとの
どんな楽しい話を聞いた時よりも

あー、
猫ちゃん幸せだったんだね、
て、思いました。

そして
猫ちゃんは
お母さんの手の中にいるように
安心して旅立ったんじゃないのかな、、
なんて

思いました。






あるすてきんぐさんは、
毎回、飼っている犬を
ペットホテルに預けて、
私のライブに来てくれていました。


東京でゆっくりしていかないの?
なんて聞いても、

○ーちゃんが待ってますから!
て答える彼女は
ライブ中は酔っ払って
踊っているのに
そう答える時だけは

まるでお母さんの顔をしていました。


翌朝以降
○ーちゃんの元気な写真が
Twitterに上がってきているのを見て

いつも、なんとも安心
ほんわかした気持ちに
させていただいていました。



やっぱり
生き物を飼うって、

そのこのお母さん、お父さん、に
なることのように思いました。


親は子どもが
排泄しようが噛もうが
住宅事情が変化しようが
お金がかかる病気になろうが

最後の最後までがんばろうとすると
信じたいのです。


自分の子どもが産んだ子どもを
貰い手がつかないから
殺処分
とは、すぐにはならないと
思うのです。


キチンとしつけをするとか
ワクチンとか
去勢避妊手術とか


殺処分を減らすために
できることは
まだ沢山あるはず



私は
お肉を食べます。
お魚も好きです。


いただきます
と言って食べています。

命をいただいているからです。



召し上がれ
命よ
神に召されて天に上ってください。




命を殺めるというのは
食べるためだけに
あるんじゃないのかな、、、





処分されていい命など



この世にあって欲しくない。

0コメント

  • 1000 / 1000

keiko