母が帰ってしまい、
しばらくは
変な感じです。
なんというか
イイトシしたオトナな私のはずが
これは本当になんなんだろう
急にものすごく眠くなったり
熱を出してみたり
家事全般に対して無気力になり
しまいには立つのも嫌になり
お母さーん!
みかん、とってー!
みかんぐらい自分でとりなさい!
みたいな。
私個人の独断と偏見による
仮説によりますと、
多分、脳みそが
さあ!
けいこ!
2日間だけ、子どもになってもいいぞ!
と、指令を出しているように
思います。
眠い時には眠っていいぞ!
(起こしてもらえるよ?)
ご飯の支度しなくていいぞ!
(勝手にご飯が炊けてるぞ!)
そうじ、、、
してないのにキレイなのはなんで
きゃっ
口より手が早く動くひとなので
何にもしないでゆっくりして行ってくれ
なんて台詞は完敗でした。
他にも
普段まわりには
出さないように気をつけている
嫌な態度や、
ビックリするような短気
こーゆうのが
おかまいなしに出てくるのは
本当に
脳みそが指令出してるとしか、、、
て、、
言い訳しておくか、。
子どもの頃の甘えっぱなし
頼りっぱなし
何も変わっていない私
何も変わっていない母
だけど
母がいなくなってから
思ったこと
子どもの頃とひとつだけ
母が変わってしまったなあ
と感じたことがありました。
夜起きていられない
たったそれだけのことが
私を現実に引き戻してくれました。
母は、
歳をとったんだな、、、
当たり前なんだけど
何の根拠もなく
自分の親はいつまでも元気でいるような
そんな気がしていました。
そんなこと、あるはずないのに。
おかーさーん!
今日も映画みんのー?
子どもはもうねなさい!
水曜ロードショー?
今日は、木曜洋画劇場だ。
物心ついて、
生まれて初めて見た映画は
テレビでだけど
禁じられた遊び
という映画でした。
どうして、男の子と女の子
お墓を掘ってんの?
んだ、、な、、、
なんで、だべな、、、
内容がよくわからないのに
なんとも映像が綺麗で
また、一緒に見ていた
母との空気
忘れられない場面です。
ずいぶん大人になってから
あれは、どうして
禁じられた
遊び
なんだろう
そんなことを
ふと思ったことがあります。
悪い遊び、でなく
してはいけない遊び、ではなく。
禁じ手から、駐車禁止まで、
あらゆる禁のつく言葉が目にとまり
いつもの癖で
また、頭をぐるぐるいわせていました。
なんとなく
ホントになんとなくだけど
善悪とは違う
タブーとも違う
これをしたら、どうなるか
わかってんだろうな?
みたいな
自分以外の何かからの
脅しに似た圧力が含まれているように
感じてしまいました。
そして、それは
ごく身近に
私自身にもあり
その何かが私そのもので
私が私に何かを禁じるケースも。
自由からも遠のくようにも感じました。
それに自分自身が気づいていない時が
1番さみしく、苦しい結果になるようにも
感じました。
言葉って、
素直に使いたいけど
あり意味、記号みたいなもので。
楽しい幸せな幼少時代の後
母との関係はどんどん悪化し
思い出したくもない暗黒時代に
入るわけですが
どうしてそうなったかと言えば
今思うと
私自身が自分に対して
母親に甘えることを禁じたことが
原因だったように感じます。
何故禁じたかと言えば
本当は狂おしいほど
求めていたわけで
求めた通りのものが
手に入らないなら
求めていないことにしよう
何十年もたった今
そんなふうに感じています。
甘えることが悪でもなく
甘えることはしたくない
でもなく
禁じた
のは
衝動のまま求めて
めんどくさい奴だと思われ
嫌われたら
もう生きていけないぐらいの
絶望が想像できたから。
これをしたら
どうなるかわかってんだろうな?
の脅しに似た圧力を
自分で自分にかけたわけです。
これに気づくまで
どれだけの時間が流れたんだろう。
自分でこれに気づくまで
母以外との他人とも
まともな人間関係を結べなかったようにも
思います。
怒れないから。
それをされて嫌だ、と
言えないから。
最近
以前の自分と似ているなあ
と感じるひとを
ちらほらとですが
見かけます。
明るくて元気で
がんばりやさんで
人付き合いが上手で
でも、ちょっとだけ
苦しそうに見えます。
自分もそうだったから
偉そうには言えないんだけど
自由の反対語て
不自由じゃなくて
不自由って
環境や立場の問題じゃなくて
自由な感情を
自分に禁じていることのような
気がしました。
しばらくは
変な感じです。
なんというか
イイトシしたオトナな私のはずが
これは本当になんなんだろう
急にものすごく眠くなったり
熱を出してみたり
家事全般に対して無気力になり
しまいには立つのも嫌になり
お母さーん!
みかん、とってー!
みかんぐらい自分でとりなさい!
みたいな。
私個人の独断と偏見による
仮説によりますと、
多分、脳みそが
さあ!
けいこ!
2日間だけ、子どもになってもいいぞ!
と、指令を出しているように
思います。
眠い時には眠っていいぞ!
(起こしてもらえるよ?)
ご飯の支度しなくていいぞ!
(勝手にご飯が炊けてるぞ!)
そうじ、、、
してないのにキレイなのはなんで
きゃっ
口より手が早く動くひとなので
何にもしないでゆっくりして行ってくれ
なんて台詞は完敗でした。
他にも
普段まわりには
出さないように気をつけている
嫌な態度や、
ビックリするような短気
こーゆうのが
おかまいなしに出てくるのは
本当に
脳みそが指令出してるとしか、、、
て、、
言い訳しておくか、。
子どもの頃の甘えっぱなし
頼りっぱなし
何も変わっていない私
何も変わっていない母
だけど
母がいなくなってから
思ったこと
子どもの頃とひとつだけ
母が変わってしまったなあ
と感じたことがありました。
夜起きていられない
たったそれだけのことが
私を現実に引き戻してくれました。
母は、
歳をとったんだな、、、
当たり前なんだけど
何の根拠もなく
自分の親はいつまでも元気でいるような
そんな気がしていました。
そんなこと、あるはずないのに。
おかーさーん!
今日も映画みんのー?
子どもはもうねなさい!
水曜ロードショー?
今日は、木曜洋画劇場だ。
物心ついて、
生まれて初めて見た映画は
テレビでだけど
禁じられた遊び
という映画でした。
どうして、男の子と女の子
お墓を掘ってんの?
んだ、、な、、、
なんで、だべな、、、
内容がよくわからないのに
なんとも映像が綺麗で
また、一緒に見ていた
母との空気
忘れられない場面です。
ずいぶん大人になってから
あれは、どうして
禁じられた
遊び
なんだろう
そんなことを
ふと思ったことがあります。
悪い遊び、でなく
してはいけない遊び、ではなく。
禁じ手から、駐車禁止まで、
あらゆる禁のつく言葉が目にとまり
いつもの癖で
また、頭をぐるぐるいわせていました。
なんとなく
ホントになんとなくだけど
善悪とは違う
タブーとも違う
これをしたら、どうなるか
わかってんだろうな?
みたいな
自分以外の何かからの
脅しに似た圧力が含まれているように
感じてしまいました。
そして、それは
ごく身近に
私自身にもあり
その何かが私そのもので
私が私に何かを禁じるケースも。
自由からも遠のくようにも感じました。
それに自分自身が気づいていない時が
1番さみしく、苦しい結果になるようにも
感じました。
言葉って、
素直に使いたいけど
あり意味、記号みたいなもので。
楽しい幸せな幼少時代の後
母との関係はどんどん悪化し
思い出したくもない暗黒時代に
入るわけですが
どうしてそうなったかと言えば
今思うと
私自身が自分に対して
母親に甘えることを禁じたことが
原因だったように感じます。
何故禁じたかと言えば
本当は狂おしいほど
求めていたわけで
求めた通りのものが
手に入らないなら
求めていないことにしよう
何十年もたった今
そんなふうに感じています。
甘えることが悪でもなく
甘えることはしたくない
でもなく
禁じた
のは
衝動のまま求めて
めんどくさい奴だと思われ
嫌われたら
もう生きていけないぐらいの
絶望が想像できたから。
これをしたら
どうなるかわかってんだろうな?
の脅しに似た圧力を
自分で自分にかけたわけです。
これに気づくまで
どれだけの時間が流れたんだろう。
自分でこれに気づくまで
母以外との他人とも
まともな人間関係を結べなかったようにも
思います。
怒れないから。
それをされて嫌だ、と
言えないから。
最近
以前の自分と似ているなあ
と感じるひとを
ちらほらとですが
見かけます。
明るくて元気で
がんばりやさんで
人付き合いが上手で
でも、ちょっとだけ
苦しそうに見えます。
自分もそうだったから
偉そうには言えないんだけど
自由の反対語て
不自由じゃなくて
不自由って
環境や立場の問題じゃなくて
自由な感情を
自分に禁じていることのような
気がしました。
keiko
0コメント