3.11

何を書いていいのか
わからないけど


何かを書いておかなきゃいけないような気もする



3.11
本当は、あるライブハウスで
飛び入りセッションに参加する予定でいました。

また、
そこで、3.11について
こんなことを伝えたい

少しお話させていただくことも
考えていました。


ハーモニカと、マイクを、持って
家をでて電車に乗りましたが

どうしても気持ちが





気持ちが動かなくなってしまいました。




以前なら、自分をごまかし、
自分に嘘をついてでも
頑張れたのですが

今回ばかりは
自分でも驚くほど
どうにもならず

正直に電車の中から
ご連絡させていただきました。







以前、震災直後、
精一杯しゃべったけど
あれじゃ伝わらないよ
と言われたことがありまして




その時は、まだ
行方を追っているけど
わからない人もいるような状況でしたので
安否の安の連絡の後、、、
否の連絡も入りはじめ、

次の、否は、誰なんだよ!

不安で、不安で、
怖くて、悲しくて
絶望を打ち消しながら



その時は、その時の
私の精一杯だったのだけど




伝わらないんですね、、、私。



情けなくなります。





そのくせ、



あんたに何がわかる!
と、怒りながら一時間ぐらい人前で
わんわん泣いていました。


子どもか?(笑)




なんだか
それ以来、
震災について人前でしゃべる
というと思い出す、、、のかな。





今回は、幸いにも
先方が相馬市の方でしたので
嘘、ごまかし、無く


正直に



私の心が無理だと言っている
ごめんなさい
と伝えました。



大丈夫ですよ、
あらためて、次の機会にやりましょう!

という優しい言葉に
電車の中で涙がこぼれました。




迷惑かけてしまって
本当にごめんなさい。









ひとりだけ



私に夢を与えてくれた方に



3.11
私の気持ちをメールしました。


震災がキッカケではないけれど
めぐりめぐれば
震災が無ければ
出逢えていなかったかもしれない
と思って。





特別なことは、
何も書かなかったのですが


震災が無ければ
出逢えなかった人がいる
そう思うと、やっと
受け入れられそうです。
出逢いに感謝しています。
ありがとうございます。




と、メールしました。









本当は、



悲しいのか、悔しいのか、
見ないことにして
震災なんて無かったことにして
生きていきたい気持ちもあるのです。



受け入れると
沢山の現実が



虚構ではなく
きちんとした現実として
自分にせまってくるので



例えば


私は、丸二年、実家に入っていませんが


実は、自分に
こんなふうに言い聞かせて
乗りきってる部分も
多少はあります。




今度の正月は、
なかなか来ないな~
早くお正月にならないかな

お母さんのお雑煮食べて
ばあちゃんに、お年玉もらいにいくんだ!

今年の秋は、ずいぶん長いな~、、、、。






本当は、
もう、2回も、
お正月はきているのにね。




でも、


こちら側の世界を
きちんとした現実として
受け入れないと

震災以降の出逢いも
無かったことになってしまうのではないか?


そんな気持ちになり
メールしたのです。



私は今、こんな気持ちです、
という


ただ、ただ、
一方的なメールですので
ご迷惑かな、とも思いましたが。

自分なりに
現実を確かめたかったのかも
しれないです。







一夜明けて
いただいた返事の中に







ありがとな。






と、ありました。













不思議な気持ちになりました。




ありがとう
という言葉は

何かをしてもらったり
何かを受け取ったり

そういう時に使う言葉だと
思っていたのですが。



私は、何もしていないし
自分の気持ちを一方的にメールしただけ。




いったい、何をもって、、


何に対して

ありがとう、なのか、、、。







圭子、ありがとな。






私が生きる本当の現実を



果てしない現実を




肯定してもらえたような。






涙がポタポタ落ちてきて



ポタポタ、ポタポタ、
落ちてきて


多分、返事は、
出来ないままです。





ポタポタ落ちる涙の気持ちを




伝えられる人に

なりたいよ。

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