熊本での地震で困難な状況にある皆様の
健康と明るい未来を
お祈りさせてください。
一口に震災と言えども
それぞれ性質は異なり
難しい問題や
困難の種類も何通りも
あると思います。
何か無理矢理な共通点を見つけるとすれば
私の場合
手の届かないもどかしさ
もどかしさからくる無力感
かな、、、、。
熊本出身で、他の地方で暮らし
愛する故郷を案じている方へ。
どうか
ご自身の心に無理をさせないであげてください。
健康を心がけ
自分を責めないでください。
少し嫌な話になりますが
嫌な、ではないかな
少し悲しい話になりますが
私の経験からの思うことを
書いておこうと思います。
私のような気持ちを味わう方が
少しでも減ることを祈って。
東日本大震災
当時
私が交わした会話で
辛かったものがあります。
ひとつは
「結局のところ、福島て大丈夫なの?」
で始まる会話
もう1つは
「けいこさんて、結構、躁鬱はげしいほうですか?」
というもの。
どちらも悪気は無いのだと思います。
それは理解できるのです。
だから相手に対して
怒りとか、悲しみ、という感情で
その場で反応は出来ないのです。
ただ、
心配してくださっているのに、、、
もしかしたら、ただの興味だったのかもしれないけど、、、
当時の私は
何か答えなきゃいけないような
義務感のような
使命感のような
自分の感情とは別なところで反応し
必死に答えを探しながら
答えていました。
そして答えるごとに
ガツンと殴られたような痛みは無いものの
あとから、あとから、
真綿で首を絞められるような
じんわりとした辛さが
あとから、あとから、
ゆっくりと私の心の体力を奪っていきました。
ご実家、大丈夫?
と聞かれるのと
福島、大丈夫?
と聞かれるのでは
似て非なるもの。
雲泥の差があるのです。
ご実家、大丈夫?
と聞かれれば
大丈夫じゃないです、、、
て、いったい
何を以ってして大丈夫なのか
両親は無事でしたので
震災翌日から
大丈夫と言えば
大丈夫ですし
今も借り上げ住宅に暮らしていることを思えば
今も、大丈夫では、ありません。
でも、こちらの質問は
本当に私を気遣い、心配してくれているのが
ダイレクトに伝わってきたので
聞かれる、イコール、気にかけてもらえている
心が安らぐ場面がたくさんありました。
辛い場面もあったけど
それを上回る、気にかけてくれている
という、
人の優しさに救われました。
今でも感謝しています。
でも
福島、大丈夫なの?
と聞かれると
そんなことは正直、誰にもわからない
私にも、あなたにも、
福島のひとにも、他の地域の方にも
でも当時は
心が変な高ぶりに、ずっと熱を出しているような
状態でしたので
一生懸命、答えました。
ですが
答えているのは、あくまでも一個人な私なのです。
もちろん主観だらけ
希望的観測に基づいた意見です。
結局のところ、福島、大丈夫なの?
はい。
これこれ、こんな感じです。
でも、テレビでは
こう言ってるよ?
まあ、テレビのことは、よくわかりませんが
私が親や友人たちに直接聞くのは
こんな話です。
えー
それは違うんじゃないの?
私は、そのあと
どう答えればよかったのでしょう?
望まれる返答に近づくまで
会話を続けなくては
いけなかったのでしょうか?
会話を続けることが辛くなった先の居場所が
このブログでした。
自分のブログなのに
自分の居場所だなんて
おかしな表現だと
自分でも思います。
正直な思いを書き連ねる日々が
始まりました。
正直であればあるほど
内面を吐露すればするほど
後に読み返したくもないような
ヒリヒリするような痛みある内容も増えました。
多分、読まれた方が
不快になるような文章も書きました。
こんなことじゃ、いかん!!
気持ち明るく!
元気だして!
と自分に言い聞かせ
ヒリヒリブログの後には
意識して
気分を変えて
無理矢理見つけた楽しい日常を書きました。
日常の中の幸せ
どんな毎日にも
ワクワクすることは溢れているはず
そう意識して書きました。
自分の為です。
そして、
そんな
ヒリヒリと、ワクワクを、繰り返すうち
それらのブログを読まれた方から
けいこさんて結構
躁鬱はげしいほうですか?
と、なるわけです。
鬱病ではなかったけれど
もしかしたら病院にでもいけば
鬱病だったのかもしれないし
私はいたって普通と思っていたけれど
読まれた方がそう感じるなら
はげしいほう、となるのかな?
わからない
わからないのは
2つの、わからない
1つは自分が躁鬱はげしいほうなのか?
2つめは、この質問に
私は答えなきゃ、いけないんだろうか?
という疑問。
不思議です。
私は今なら
上記の2つの会話を
平常心で続けられます。
たいして傷つくことも
ありません。
いわゆる普通の会話です。
むしろ色々話したい。
関心を持ってくださることに
感謝なのです。
でも当時は
本当にしんどかった。
なんでかな?
と振り返れば
単純に
当時の私の心の体力が
落ちていたからだと思うのです。
私は、
悲しかったり
辛かったり
したけれど
うっせーよ!
福島が大丈夫かどうかなんて
総理か、県知事か、どっかの博士に聞いてくれよ!
と
怒れなかった。
不思議なことに
怒り、腹立たしい、という感情が
わかなかなった。
怒りが湧きそうになると
言葉を感情が超えてしまうので
泣くことしか
出来なかった。
人は
心の体力がたっぷりある時しか
怒れないのかもしれません。
私は震災から五年経っています。
熊本出身の他の土地で暮らす皆様の
心の体力が
どうか少しでも
すり減らないことを祈ります。
他の土地で暮らす熊本出身の方の
心の体力が落ちて
1番悲しくなるのは
実際に熊本で
今現在、避難されている皆様なのです。
故郷を愛するひとたちの心は
離れていても、それほどまでに
同通しています。
聞きたいことも
話したいことも
たくさんあると思います。
でも、それは
今
では、ないと思うのです。
健康と明るい未来を
お祈りさせてください。
一口に震災と言えども
それぞれ性質は異なり
難しい問題や
困難の種類も何通りも
あると思います。
何か無理矢理な共通点を見つけるとすれば
私の場合
手の届かないもどかしさ
もどかしさからくる無力感
かな、、、、。
熊本出身で、他の地方で暮らし
愛する故郷を案じている方へ。
どうか
ご自身の心に無理をさせないであげてください。
健康を心がけ
自分を責めないでください。
少し嫌な話になりますが
嫌な、ではないかな
少し悲しい話になりますが
私の経験からの思うことを
書いておこうと思います。
私のような気持ちを味わう方が
少しでも減ることを祈って。
東日本大震災
当時
私が交わした会話で
辛かったものがあります。
ひとつは
「結局のところ、福島て大丈夫なの?」
で始まる会話
もう1つは
「けいこさんて、結構、躁鬱はげしいほうですか?」
というもの。
どちらも悪気は無いのだと思います。
それは理解できるのです。
だから相手に対して
怒りとか、悲しみ、という感情で
その場で反応は出来ないのです。
ただ、
心配してくださっているのに、、、
もしかしたら、ただの興味だったのかもしれないけど、、、
当時の私は
何か答えなきゃいけないような
義務感のような
使命感のような
自分の感情とは別なところで反応し
必死に答えを探しながら
答えていました。
そして答えるごとに
ガツンと殴られたような痛みは無いものの
あとから、あとから、
真綿で首を絞められるような
じんわりとした辛さが
あとから、あとから、
ゆっくりと私の心の体力を奪っていきました。
ご実家、大丈夫?
と聞かれるのと
福島、大丈夫?
と聞かれるのでは
似て非なるもの。
雲泥の差があるのです。
ご実家、大丈夫?
と聞かれれば
大丈夫じゃないです、、、
て、いったい
何を以ってして大丈夫なのか
両親は無事でしたので
震災翌日から
大丈夫と言えば
大丈夫ですし
今も借り上げ住宅に暮らしていることを思えば
今も、大丈夫では、ありません。
でも、こちらの質問は
本当に私を気遣い、心配してくれているのが
ダイレクトに伝わってきたので
聞かれる、イコール、気にかけてもらえている
心が安らぐ場面がたくさんありました。
辛い場面もあったけど
それを上回る、気にかけてくれている
という、
人の優しさに救われました。
今でも感謝しています。
でも
福島、大丈夫なの?
と聞かれると
そんなことは正直、誰にもわからない
私にも、あなたにも、
福島のひとにも、他の地域の方にも
でも当時は
心が変な高ぶりに、ずっと熱を出しているような
状態でしたので
一生懸命、答えました。
ですが
答えているのは、あくまでも一個人な私なのです。
もちろん主観だらけ
希望的観測に基づいた意見です。
結局のところ、福島、大丈夫なの?
はい。
これこれ、こんな感じです。
でも、テレビでは
こう言ってるよ?
まあ、テレビのことは、よくわかりませんが
私が親や友人たちに直接聞くのは
こんな話です。
えー
それは違うんじゃないの?
私は、そのあと
どう答えればよかったのでしょう?
望まれる返答に近づくまで
会話を続けなくては
いけなかったのでしょうか?
会話を続けることが辛くなった先の居場所が
このブログでした。
自分のブログなのに
自分の居場所だなんて
おかしな表現だと
自分でも思います。
正直な思いを書き連ねる日々が
始まりました。
正直であればあるほど
内面を吐露すればするほど
後に読み返したくもないような
ヒリヒリするような痛みある内容も増えました。
多分、読まれた方が
不快になるような文章も書きました。
こんなことじゃ、いかん!!
気持ち明るく!
元気だして!
と自分に言い聞かせ
ヒリヒリブログの後には
意識して
気分を変えて
無理矢理見つけた楽しい日常を書きました。
日常の中の幸せ
どんな毎日にも
ワクワクすることは溢れているはず
そう意識して書きました。
自分の為です。
そして、
そんな
ヒリヒリと、ワクワクを、繰り返すうち
それらのブログを読まれた方から
けいこさんて結構
躁鬱はげしいほうですか?
と、なるわけです。
鬱病ではなかったけれど
もしかしたら病院にでもいけば
鬱病だったのかもしれないし
私はいたって普通と思っていたけれど
読まれた方がそう感じるなら
はげしいほう、となるのかな?
わからない
わからないのは
2つの、わからない
1つは自分が躁鬱はげしいほうなのか?
2つめは、この質問に
私は答えなきゃ、いけないんだろうか?
という疑問。
不思議です。
私は今なら
上記の2つの会話を
平常心で続けられます。
たいして傷つくことも
ありません。
いわゆる普通の会話です。
むしろ色々話したい。
関心を持ってくださることに
感謝なのです。
でも当時は
本当にしんどかった。
なんでかな?
と振り返れば
単純に
当時の私の心の体力が
落ちていたからだと思うのです。
私は、
悲しかったり
辛かったり
したけれど
うっせーよ!
福島が大丈夫かどうかなんて
総理か、県知事か、どっかの博士に聞いてくれよ!
と
怒れなかった。
不思議なことに
怒り、腹立たしい、という感情が
わかなかなった。
怒りが湧きそうになると
言葉を感情が超えてしまうので
泣くことしか
出来なかった。
人は
心の体力がたっぷりある時しか
怒れないのかもしれません。
私は震災から五年経っています。
熊本出身の他の土地で暮らす皆様の
心の体力が
どうか少しでも
すり減らないことを祈ります。
他の土地で暮らす熊本出身の方の
心の体力が落ちて
1番悲しくなるのは
実際に熊本で
今現在、避難されている皆様なのです。
故郷を愛するひとたちの心は
離れていても、それほどまでに
同通しています。
聞きたいことも
話したいことも
たくさんあると思います。
でも、それは
今
では、ないと思うのです。
keiko
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