抜かれた栓。

何か劇的な事件もなく
かといって退屈でもなく

淡々と過ぎてゆく私の日常

なんとなく何もなく流れてゆく日常

夢も希望も沢山あるけれど
人生はファンタジーではない
ということも

充分過ぎるほど
理解してしまった。

慣れというのは恐ろしいもので

本当は何もないなんてことは
あり得ないわけで

嬉しいことは覚えているのに
しんどいことは覚えないようにする

無意識的に体得したそのやり方は
多分、生きる術として体得したのだろう

我慢が癖みたいに
なっていたのかな

きっかけなんて無かったはずなのに

瞬間的に感情が込み上げて
気がつけば
ヒックヒック
止まらない
子どもの頃の泣き方でした。

何年ぶりだろう

泣き方まで我慢して選んでいたのかな

自分をコントロール出来ない自分の状況に
あれ?
なんでだろ?
すみません、
なんでこんなんなってんだろ?

と、呟いてみたら

それは、
私が栓を抜いたからですよ?
と、笑顔で返されました。

言葉でも行動でもなく
気持ちの波動というか、、、

あたたかい。

私は
そういうものに
反応するのかもしれないなあ

いただいたガラスのビーズ
もう50年以上も前につくられたものだとか。

どんなストーリーのもとに
誰と誰と誰の手を渡り歩いて
私の手のひらに落ちてきたのかな

ヒックヒックがおさまると
なんだかとっても清々しい気持ちになり
元気が湧いてきました。

時間が経つにつれ
このビーズさえも
初めとは違った色彩に見えてきました。

出会いというのは
有難いものです。

そして
出会いが繋がっていくのは
そこに縁があるのかもしれません。

このビーズ大切にしよう

大切にしていたら
もしかしたら、また
これから50年後
私の知らない誰かの栓を
抜いてくれるのかもしれない。

抜かれた栓は
いったい何で出来ていたのだろう。

  

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keiko