お母様、幸せですね。

自分の親と、
さほど年齢の変わらない男性と
話す機会があり、、、。

ふとした会話の流れで
彼のお母様が病院にいらっしゃることを
知りました。

お母様は92歳とのこと。

脳梗塞で倒れられたあと
彼が自宅で三年間介護をなさり
その後、病院へ入り二年が経ったと。

ということは、、

私が初めてお話させていただいた時には
既に入院されていたのですね。

明るく、穏やかに話す
朗らかな、そのお人柄から
まさか、そんな状況で暮らしていたとは
想像すら及ばず、、、。


お母様、幸せですね。

ふと、口をついて出た言葉に
自分で驚きました。

彼も、一瞬、、

ん?
というような表情をされて

その後、
手入れの行き届いていないと
謙遜される
お庭の植物を見せてくださいました。

震災時、
私は両親と一週間
一切連絡がとれなくなり

両親の死を覚悟していました。

そんなことが

そういう事実や
気持ちや覚悟の積み重ねが

私の価値観にも
大きく変化をもたらしていることを

ゆっくりと感じざるを得ませんでした。

ゆっくりと感じとりながら

手入れの行き届いていない
葡萄の棚や
つるぶき
芙蓉
八重桜

朝顔の蔓もありました。

少なくとも私は

両親の死を覚悟するなんてことは
震災前には無かったことで

その覚悟をする以前は
この類のお話をお伺いすると

この方偉いなあ
介護って、大変なんだろうなあ
疲れがたまったら、かわいそうだ、、、

そんな感情だけでした。

それが今日は

介護、大変ですね、、
という言葉は

出なかったんですね

大変じゃない、しんどくない、などとは
これっぽっちも思っていませんし
彼の心境は
介護の経験が無い私が
想像できるものではないものだとも
思います。

ただ、

息子に介護され
息子が会いに来てくれる
お母様は幸せだろうなあ

という感情が前に出て
ポロッと口をついて出てしまいました。

そのひとにとって
何が失礼にあたり
何が不快にさせてしまうのか

時々、わからなくなる時があります。

でも今日は

慰めるでも
励ますでも、なく

淡々と事実の会話が出来たような気がして

頑張っているふうでもなく
悲観にくれているふうでもない
彼のお顔が

素敵なお顔をしている方だなあ、と、、

なんと説明してよいのか
わからない

心の動きがありました。

幸せって
幸福感て、

なんだろう

私がこの先
彼と同じことをするようになったとき

彼の


ん?





わかるのかもしれないなあ。

0コメント

  • 1000 / 1000

keiko