The Voice.を歌うということ。

けーぴよ!
あれ、やろう!
あれあれ、なんだっけ?
あのCDに入ってるやつ、ボイス!

一緒、自分の耳を疑いました。
同時に
この人は、いったい何を言っているんだ?
そんな
人の思考が読めない
ある意味、疑いの念がわきました。

で、2秒ぐらいかな?笑

2秒後の彼の無言の笑顔を見て
疑った自分が恥ずかしくなりました。

あー、、
わかってくれてるんだ
理解されるというのは
こんなにも嬉しく
あったかい気持ちになるものなんだな。

先日の
南青山レッドシューズ
Charken Band
で何を演奏するのか?
ざっくり打ち合わせしとこう、と
バンマスけんちゃんと
初めて選曲について話をした時の出来事でした。

私の立場からすれば
パーマネントなバンドに
ゲストで呼んでいただけるわけですから

正直
バンドに合わせて何でもやりまっす!
やれと言われれば、ヘソ踊りでもしやすぜ
だんな!

て、ところだったんですけど。

その、しょっぱなで
私の曲をやろう、という話は
ゲストのお話を受けた後に知る
誤算中の誤算なわけです。

こんな嬉しい誤算は
今まで味わったことがありません。

嬉しかったです。

私は
福島県南相馬市小高区の出身です。
実家は原発20キロ圏内の為
まる四年
実家で眠れてはいません。

奇跡的に助かった
若かった両親は
借り上げ住宅で
だいぶ歳をとりました。

とても辛く大変な日々を乗り越え
今、南相馬市には沢山の笑顔があります。

文字に記すと陳腐だけど

地元の仲間たちの
想像を絶する生き様が

そこにはあるのです。

まだまだ沢山の問題はあります。

でも

その生き様の果てに
南相馬市には今
笑顔が溢れています。

私は震災後
笑顔の道
という曲をつくりました。

震災後
私が1番感じたこと

それは
私たちが
人を助けること
人に助けてもらうこと
この両方が

あまりにも不慣れだ、ということです。

助けてあげる時は
まるで腫れ物にさわるように
自我の押し付けになったらやだな、、
何もできないよ
大きなことできない自分はダメなんだ、、

助けてもらう時は
ありがとう、ではなく
迷惑かけてごめん、と思ってしまったり

人に心を開くということは
本当に勇気がいります。

何度も信じて
何度も裏切られ
何度も孤独を決意したひとなら

なおさら

でも、

もう一段上の勇気を持って
心を開き
繋がっていきたいよ

被災地に限っての話じゃない

ひとはもっともっと
心を開いて
助け合っていきたいよ

震災後
南相馬市出身てだけで仕事きていいもんだな
悲劇のヒロインぶりやがって
被災者ぶるな東京にいたくせに

誹謗抽象の毎日の中で
完全に心を閉ざした後に

もう一段上の勇気を持って

仲間と生きていきたい

それをする為には
まず私が

心を開かなければ

笑顔の道は日本語で歌っています。
その英語バージョンのタイトルが
The Voice
になります。
http://s.ameblo.jp/keikosekaiichi/entry-11783464030.html

MCでは
多くのことは言えませんでした。

ただ

大好きだった海が
無くなってしまった歌です

と言いました。

ピアノのはまやんには
曲への思いを話していました。
しっかりと受け止めてくれた彼の気持ちに
なんの心配もなく
全幅の信頼のピアノに

盛らず
差し引かず
まっすぐに歌いました。

演奏後
TheVoiceが素晴らしかった!と、
CDを購入してくださった方がいました。

何も話せなかったけど
歌で伝わったのかもしれない

ありがたくて、うれしくて、
これでいいんだ、
て思いました。

斉藤みきカメラマンが
写真を撮ってくれていました。

ありがとう。

バンドメンバーのみんな
ありがとう。
けんちゃん、ありがとう。

みんなに見てほしい。

やっとここまで来れました。

これが
私がThe Voiceを歌いきったあとの

もう一段上の勇気を持った

私の顔です。

ありがとう。

  

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