色々話したいし、 話しておかなきゃいけないこともあって
電話をしようとしているんだけど
なかなかタイミング合わず
気がつけば
かなり長いこと両親と話していません。
元気でいるんだろうか
元気だといいなあ
久しぶりに両親への思いをめぐらせてる中
たまたま友人と話す機会があり
書いてみたくなりました。
友人の娘さんがこの春、無事
大学に合格し
春から1人暮らしがはじまるとのこと
本当に心配して
娘さんを案じて
心をくだいている友人を眺めながら
自分の両親を思い出しました。
もう数十年前
私も心ウキウキと
故郷福島から
東京へ出て1人暮らしをすることになりまして。
さてと、、
私はどうしたらいいんだ?
どうやったら1人暮らしは
はじまんだ?
という時に
母に
ポンっと
20万、手渡されました。
え?
東京で1人暮らしすんだべ?
はあー?
と、、
そこでバトルが始まったのは
言うまでもありません。
上京することに母は反対してないし
むしろ
荒れ狂うレオナルドを説得する側にまわっていてくれたのだけど、、
この時ばかりは
本当にポカンと口を開けてしまいました。
自分でやれってことかい、、、
(T_T)
でも私
東京知らないんですけど、、
18までぬくぬくと福島で育った
田舎娘なんですけど、、、
コンクリートジャングル
怖いんですけど、、、
それからは
焦りと不安で
もう東京いくのやめよっかな、、
ぐらいの日々でした。
あの頃はネットとか使える環境なかったし
何が何だかわけわからん!
の怒りを抱えながら
本当に必死でした。
必死に勉強して調べて
ふむふむ
不動産屋さん、ていうところにいけば
部屋を借りる、てことができんのか、、
不動産屋さんて、何屋さんなんだろ、
小高には無かったなあ。
つーか、部屋を借りるって
どういうこと?
みたいな、、、。
状況を知って
あまりに不敏に思ったのか
何故か
高校で同じクラスだった友人の叔母さん
東京在住、という方が
一緒に不動産屋さんに行ってくれることになりました。
勿論、赤の他人です。
面識もありません。
私には時間がなかったし
見ず知らずの方が
姪っ子から話聞いたら心配で
という理由だけで
私に1日時間をくださった
スーパーひたちに1人で乗って
その日に部屋を決めて契約して
またスーパーひたちに乗って
小高に帰りました。
もうこの時点で
ワクワク東京1人暮らしライフ!
というイメージは打ち砕かれ
お母さん!
この友人の叔母さんの爪の垢でも
飲んでくださいよ!
てな気分でした。
その後
母は、その友人の叔母さんに連絡し
お礼をし、
大人としての筋は通してくれましたが
けいこちゃんは
頑張ったらいろんな人に助けてもらえて
幸せ者だなあ、、
とニコニコしている母に
腹が立って仕方がありませんでした。
本筋ならおまえがしてくれることだろうがあ!
くらつけっど、にしゃあっ!
しばらく母と口をきかない日を
過ごしました。
いよいよ引越しの日が近づき
引越し荷物の準備がはじまりました。
母は、相変わらずニコニコしながら
茶碗を新聞紙にくるんで
ダンボールに詰めたりしてくれました。
こーゆうことは手伝ってくれんだな、
私の精一杯のイヤミです。
私は1人暮らしなのに
母は相変わらずニコニコしながら
これ、
よーいちと、ひーくんの分な、
と言いながら
茶碗、お椀、を3つずつ
新聞紙にくるんでいました。
中学から仲の良い幼馴染が
東京でも遊びにくんだろ、て意味です。
明日、東京に行って1人暮らしが
始まる
電気もガスも水道も
電話も
どうやったら使えるようになるのかは
私にはわからない
しばらくは
暗くなったら布団に入るしかないんだろうか
そんな不安に胸が苦しくなって
涙がこぼれそうになって
そんな感情が頂点に達したとき
私はそのへんにあるものを
ぶん投げながら
叫ぶに似た大きな声で
母に向かって
挑んでいきました
あのさー!!
どうして?
どうして
何もしてくんないの?
自分の親はなんでこんななんだよ!
ふざけんな!
みんな親が色々やってくれてんじゃん!
私
わかんないことだらけだよ!!
なんでなんだよ!!
母は、
少しだけ
悲しそうに
少しだけ
寂しそうに
下を向いていました。
無視してんじゃねーよ、ばはあ!
なんか言えよ!
いつもの母なら
親に向かって
その、口のききかたはなんだ!
て怒りまくってくるはずの母が
下を向いたままでした。
もう一度言いました。
なんで何にもしてくれないんだよ!
母は、ポツリと一言
親は、、、
先に死ぬから、、、。
あれから数十年たちました。
たまーーにだけど
母の言葉を思い出します。
教育とは
学歴をつけさせることでもなく
いい企業に就職させることでもなく
親がいなくなって
子供が1人でも
生きていけるようにすること。
私の根底に根付いている言葉です。
保護者がいなくなっても
1人で生きていけるようにすること
保護がいらない状態にすること
私の
教育、という言葉に対する指針です。
母は
本当は寂しかったんだろうな
本当は全部
手と口をだして
私の面倒をみたかったんだろうな
こんな歳になって
母を大切に思い
お母さん大好き!
と抱きつき
気持ち悪がられる私がいます。
私に
母と同じことが出来るだろうか、、
子どもというものは
無条件に親を必要とし
人に必要とされるということは
自分の存在価値にも繋がる重要なこと
真の教育をすれば
自分を無条件に必要とする人間が
1人減るということ
自分を無条件に必要とする人間がいれば
他に何があろうとも
自分の存在価値は保たれる
私にそれを
自分の意志で
自分の責任で
手放すことが
できるだろうか
お母さん、あのね、
私さあ、色々あるけど
頑張ってんだよ
おー!
けいこちゃんは
すごいなあ
私、あきらめないんだ!
友達いるがら!
けいこちゃんは
いいひとがいっぱいいで
本当に幸せ者だなあ
よがったなあ
お母さんもな、
けいこちゃんのおかげで
ノンちゃんだの、ひーくんのお姉ちゃんだのに
挨拶しでもらえんだよ
けいこちゃん
楽しみにしでっから
がんばんだよ!
困ったとぎは
たすげでやっかんな!
友達は
だいじにすんだよ
親よりも
ずーっど一緒なんだがら
だいじにすんだよ
私は
母に
あと100年ぐらい
生きててほしい
でも
それが叶わないことを理解して
お互いを応援している状態というのは
私は
人間的にはまだまだ未熟だけど
私がそれを理解した時点で
母の教育は
成功なのだと思う。
keiko
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