悲しみの果てに
何があるかなんて
俺は知らない
見たこともない
ただ、貴方の顔が浮かんで消えるだろう
私が大好きな大好きな歌の歌詞です。
エレファントカシマシ
というバンドの曲です。
ずいぶん前の曲ですが
ふと気がつくと
口ずさんでいることがあります。
そんなに頻繁にではなく
数年に一度ぐらいのものですが。
悲しみの果てに
いったい何があるのかは
未だ、私にもわかりません。
私が口ずさんでいる状態に
自分が気づくとき
それは、だいたいは
絶望を感じている時だったように
思います。
悲しみの果ては
絶望なのかな
悲しくて辛くて
どうしていいのかわからない
の状態の時には
まだ、口ずさみません、笑。
まだ、打つ手があると自分で思っているのでしょう。
口ずさんでいる時は
かなり絶望です。
絶望というのは
もう打つ手が無い
という状態のことです。
でも何故か
口ずさんだ後は
希望らしき感情が
胸の中に訪れるのです。
不思議な歌です。
ハーモニカプレイヤーとしては
多分私は一生まだまだなんでしょう。
でも、歌は。
私はこんな歌を歌いたいと
思います。
ハーモニカの演奏というのは
自分自身やはり技術という面を
語らずにはいられません。
だから多分、、、
自分がハーモニカプレイヤーであると
思う時
それは一生を支配する
コンプレックスであり
一生を繋げる遠いゴールにも感じます。
でも歌は。
私を救い
私に希望を元気を与えてくれた歌みたいな歌を
私も歌いたいと思うのです。
何が伝わり何が生まれたかを
考えるとき
正直でいること以外
思いつきませんでした。
ここ数日で
数年ぶりに
この歌を口ずさんでいました。
私は色々ありながらも
元気にしています。
私は大丈夫なのですが
他人の感情が
まるで爽やかな風のように
スーッと
私の胸の中に流れてくる瞬間がありました。
2人の大切な友人。
ひとりの友人のご家族が亡くなられたことを知りました。
お会いしたことのない友人のご家族の死が、どうしてこんなにも私の心を揺さぶるのか
いくら考えても私には
わかりませんでした。
ずっと考えていますが
まだわかりません。
でも、もしかしたら、、
と思いを巡らしていたら
その友人が私にとって本当に大切な人だということがわかりました。
ああ、、
亡くなられた方に対して悲しみがあるのではなく
その友人の表には出さない
しゃんとした明るさを見たとき
今、いったいどんな気持ちなんだろう、と
そこなんだな、と
わかった時
何かしら力になりたいと思いました。
でも何にも力になれなかった現実が
口ずさんでしまったのかな
私は貴方の存在に支えられているのに
私は無力だ
そんな絶望がありました。
もうひとりの友人が
震災で亡くなられた友人のご家族を探していました。
何で探すんだろう
そう思った瞬間に涙がこぼれました。
大切な親友は既に震災で亡くなっていて
それで終わり
それでいいじゃないか、と、
そう出来ない
それで終わりに出来ない
出来ない気持ちが
痛いほど伝わってきて
親友の身内に会いたい
そして
その身内の方に
亡くなった親友のことを
どれだけ好きだったか
どれだけ自分にとって大切だったか
伝えたいんじゃないだろうか
勝手な妄想にも思えるけれど
あながち間違いではない
確信に近い感情が
私の胸には
ありました。
私の大事な友人は
今もしかしたら
絶望の中にあるのかもしれません。
悲しみな果ては絶望かもしれない
でも
絶望の先に
希望があるという道を
私達は
つくれるのではないかと
思いました。
人が人と繋がる意義が
ひとつ紐解けた瞬間でした。
何があるかなんて
俺は知らない
見たこともない
ただ、貴方の顔が浮かんで消えるだろう
私が大好きな大好きな歌の歌詞です。
エレファントカシマシ
というバンドの曲です。
ずいぶん前の曲ですが
ふと気がつくと
口ずさんでいることがあります。
そんなに頻繁にではなく
数年に一度ぐらいのものですが。
悲しみの果てに
いったい何があるのかは
未だ、私にもわかりません。
私が口ずさんでいる状態に
自分が気づくとき
それは、だいたいは
絶望を感じている時だったように
思います。
悲しみの果ては
絶望なのかな
悲しくて辛くて
どうしていいのかわからない
の状態の時には
まだ、口ずさみません、笑。
まだ、打つ手があると自分で思っているのでしょう。
口ずさんでいる時は
かなり絶望です。
絶望というのは
もう打つ手が無い
という状態のことです。
でも何故か
口ずさんだ後は
希望らしき感情が
胸の中に訪れるのです。
不思議な歌です。
ハーモニカプレイヤーとしては
多分私は一生まだまだなんでしょう。
でも、歌は。
私はこんな歌を歌いたいと
思います。
ハーモニカの演奏というのは
自分自身やはり技術という面を
語らずにはいられません。
だから多分、、、
自分がハーモニカプレイヤーであると
思う時
それは一生を支配する
コンプレックスであり
一生を繋げる遠いゴールにも感じます。
でも歌は。
私を救い
私に希望を元気を与えてくれた歌みたいな歌を
私も歌いたいと思うのです。
何が伝わり何が生まれたかを
考えるとき
正直でいること以外
思いつきませんでした。
ここ数日で
数年ぶりに
この歌を口ずさんでいました。
私は色々ありながらも
元気にしています。
私は大丈夫なのですが
他人の感情が
まるで爽やかな風のように
スーッと
私の胸の中に流れてくる瞬間がありました。
2人の大切な友人。
ひとりの友人のご家族が亡くなられたことを知りました。
お会いしたことのない友人のご家族の死が、どうしてこんなにも私の心を揺さぶるのか
いくら考えても私には
わかりませんでした。
ずっと考えていますが
まだわかりません。
でも、もしかしたら、、
と思いを巡らしていたら
その友人が私にとって本当に大切な人だということがわかりました。
ああ、、
亡くなられた方に対して悲しみがあるのではなく
その友人の表には出さない
しゃんとした明るさを見たとき
今、いったいどんな気持ちなんだろう、と
そこなんだな、と
わかった時
何かしら力になりたいと思いました。
でも何にも力になれなかった現実が
口ずさんでしまったのかな
私は貴方の存在に支えられているのに
私は無力だ
そんな絶望がありました。
もうひとりの友人が
震災で亡くなられた友人のご家族を探していました。
何で探すんだろう
そう思った瞬間に涙がこぼれました。
大切な親友は既に震災で亡くなっていて
それで終わり
それでいいじゃないか、と、
そう出来ない
それで終わりに出来ない
出来ない気持ちが
痛いほど伝わってきて
親友の身内に会いたい
そして
その身内の方に
亡くなった親友のことを
どれだけ好きだったか
どれだけ自分にとって大切だったか
伝えたいんじゃないだろうか
勝手な妄想にも思えるけれど
あながち間違いではない
確信に近い感情が
私の胸には
ありました。
私の大事な友人は
今もしかしたら
絶望の中にあるのかもしれません。
悲しみな果ては絶望かもしれない
でも
絶望の先に
希望があるという道を
私達は
つくれるのではないかと
思いました。
人が人と繋がる意義が
ひとつ紐解けた瞬間でした。
keiko
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