最近、音楽に対してもやーんとして
考えれば考えるほどもやーんとして。
自分を遡り考えていました。
私の出処てなんなんだろう。
ルーツと言えばかっこいいけど。
音楽やるぞ!
の出処て、どこだ?
ストーンズて言えばかっこいいかな。
ロックを遡り、
ブルースに辿りつきました
て言えばかっこいいかな。
でも、
かっこつけじゃなくて、
よくよく考えてみれば
私の原風景。
中学一年生の時の文化祭にありました。
ランドセルしょって、おさげ。
長い三つ編み二本たらして
毎日木登り。
田舎の小学生から数ヶ月後
バスケ命!
の中学生だった私が
バンドって、かっこいい!
生まれてはじめての衝撃。
そう思ったきっかけは
まぎれもない中学一年生の時に見た
当時三年生
二つ上の先輩方のバンドのステージでした。
あんときは、何やってたっけ。
確かARBのコピーとか
44マグナムのコピーとか
白井貴子さんのコピーとか
だった気がします。
あのすごい音するギターが
エレキギターて、いうのか!
て
爆笑ものの無知な中学生(笑)
その当時
紅一点で、キーボード弾いたり
ボーカルとったり
なんと言っても
女でありながら
男子先輩に女でひとりまじり
ステージ上で頼りにされてる
先輩が
もう、かっこよくて、かっこよくて。
私もいつか
あんなふうになりたいなあ、、て。
もしこれが都会なら
憧れで口もきけずに終わる話が
ありがたいことに
私の生まれ育った町は
福島県南相馬市
当時はまだ、相馬郡小高町だった。
そこにはねー(笑)
自分の友達のねーちゃん、にーちゃんは
自分の兄弟と思っていい!
という、
とんでもねールールが
暗黙の了解で
存在する町でした。
ありがたい偶然は
その憧れの女先輩の弟が
幼稚園からの私の悪友だったこと。
いまだに、たまにメールすると
アホ!
バカ!
ぼけ!
カス!
と、
お互い容赦ない関係ですが(笑)
優しいんだよね。
元気なときは音信不通なのに
ピンチの時は助けてくれます。
約20年ぶりに
憧れの女先輩
私のねーちゃんにメールしました。
けいこのことはずっと忘れてないよ
両親から話聞いて応援してたよ
けいこは頑張りすぎるから
深呼吸して、ゆっくり、ゆったりね。
他にもたくさんの優しい言葉に
思わず泣いてしまいました。
けいこ、
生きていきたくても
生きていけないひともいる
生きているならなんとかなる
これを読んだ時には、もう
たまりませんでした。
私は生きているんだ。
きっと彼女も
震災で大切なひとを
何人も失ったはず
私は生きているんだ
だから
なんとか、なるんだ
大丈夫なんだ
涙が次から次へと
溢れてきました。
すごい!
かっこいい!
て
私がステージ見たときから
いったい何十年たっているんだろう。
私は、まだ、
越えられないままだ。
その優しさに
そのまなざしに
これでいいんだ、て
思いました。
ミュージシャンだけが
ミュージシャンではない。
音楽にはひとの心がある。
無いものでいいのなら
全て機械でつくればいい。
私の原風景が
あの小高中の体育館のステージならば
それは素晴らしいことではないだろうか。
ビートルズを聞いて音楽に目覚めました
とか、
ストーンズでロックを知りました
とか、
言えたらかっこいいのかもしれないけど。
私は、田舎の中学生のARBのコピーバンドで
新聞配達して楽器買った先輩たちの
農家の納屋で練習してた先輩たちの
ロックバンドで
自分も音楽やりたい!
て、思いました。
そのうちのひとりが
何十年たった今もなお
けいこ!
て、思ってくれてるのを知って
泣きました。
涙がとまらなくなりました。
あの時代に
あの町で生きたことを
誇りに思いました。
なんの因果で
あの町で育ったんだ?
そんな疑問は、
もう、どうでもいい。
原発20キロ圏内の
あの町で
いつか
体育館で
ステージにたってみたい。
ねーちゃん!
そんときは絶対タイバンしような!
ありがとう。
考えれば考えるほどもやーんとして。
自分を遡り考えていました。
私の出処てなんなんだろう。
ルーツと言えばかっこいいけど。
音楽やるぞ!
の出処て、どこだ?
ストーンズて言えばかっこいいかな。
ロックを遡り、
ブルースに辿りつきました
て言えばかっこいいかな。
でも、
かっこつけじゃなくて、
よくよく考えてみれば
私の原風景。
中学一年生の時の文化祭にありました。
ランドセルしょって、おさげ。
長い三つ編み二本たらして
毎日木登り。
田舎の小学生から数ヶ月後
バスケ命!
の中学生だった私が
バンドって、かっこいい!
生まれてはじめての衝撃。
そう思ったきっかけは
まぎれもない中学一年生の時に見た
当時三年生
二つ上の先輩方のバンドのステージでした。
あんときは、何やってたっけ。
確かARBのコピーとか
44マグナムのコピーとか
白井貴子さんのコピーとか
だった気がします。
あのすごい音するギターが
エレキギターて、いうのか!
て
爆笑ものの無知な中学生(笑)
その当時
紅一点で、キーボード弾いたり
ボーカルとったり
なんと言っても
女でありながら
男子先輩に女でひとりまじり
ステージ上で頼りにされてる
先輩が
もう、かっこよくて、かっこよくて。
私もいつか
あんなふうになりたいなあ、、て。
もしこれが都会なら
憧れで口もきけずに終わる話が
ありがたいことに
私の生まれ育った町は
福島県南相馬市
当時はまだ、相馬郡小高町だった。
そこにはねー(笑)
自分の友達のねーちゃん、にーちゃんは
自分の兄弟と思っていい!
という、
とんでもねールールが
暗黙の了解で
存在する町でした。
ありがたい偶然は
その憧れの女先輩の弟が
幼稚園からの私の悪友だったこと。
いまだに、たまにメールすると
アホ!
バカ!
ぼけ!
カス!
と、
お互い容赦ない関係ですが(笑)
優しいんだよね。
元気なときは音信不通なのに
ピンチの時は助けてくれます。
約20年ぶりに
憧れの女先輩
私のねーちゃんにメールしました。
けいこのことはずっと忘れてないよ
両親から話聞いて応援してたよ
けいこは頑張りすぎるから
深呼吸して、ゆっくり、ゆったりね。
他にもたくさんの優しい言葉に
思わず泣いてしまいました。
けいこ、
生きていきたくても
生きていけないひともいる
生きているならなんとかなる
これを読んだ時には、もう
たまりませんでした。
私は生きているんだ。
きっと彼女も
震災で大切なひとを
何人も失ったはず
私は生きているんだ
だから
なんとか、なるんだ
大丈夫なんだ
涙が次から次へと
溢れてきました。
すごい!
かっこいい!
て
私がステージ見たときから
いったい何十年たっているんだろう。
私は、まだ、
越えられないままだ。
その優しさに
そのまなざしに
これでいいんだ、て
思いました。
ミュージシャンだけが
ミュージシャンではない。
音楽にはひとの心がある。
無いものでいいのなら
全て機械でつくればいい。
私の原風景が
あの小高中の体育館のステージならば
それは素晴らしいことではないだろうか。
ビートルズを聞いて音楽に目覚めました
とか、
ストーンズでロックを知りました
とか、
言えたらかっこいいのかもしれないけど。
私は、田舎の中学生のARBのコピーバンドで
新聞配達して楽器買った先輩たちの
農家の納屋で練習してた先輩たちの
ロックバンドで
自分も音楽やりたい!
て、思いました。
そのうちのひとりが
何十年たった今もなお
けいこ!
て、思ってくれてるのを知って
泣きました。
涙がとまらなくなりました。
あの時代に
あの町で生きたことを
誇りに思いました。
なんの因果で
あの町で育ったんだ?
そんな疑問は、
もう、どうでもいい。
原発20キロ圏内の
あの町で
いつか
体育館で
ステージにたってみたい。
ねーちゃん!
そんときは絶対タイバンしような!
ありがとう。
keiko
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